これはまだ婆がカルフォルニアで暮らしていた頃の話だ。婆は若いころ、日本からアメリカに渡ってきた移民の一人だった。
彼女はそこで農場を経営する夫と出会い、結婚した。二人は幸せに暮らしていたが、第二次世界大戦が始まると、日系人として迫害を受けた。彼らは強制収容所に送られ、そこで苦しい日々を過ごした。

婆はそのとき、私の父を身ごもっていた。彼女は収容所で出産し、子どもを育てた。夫は収容所の中で病気になり、亡くなった。
婆は一人で子どもを抱え、生きるために必死だった。戦争が終わると、彼女は収容所から解放されたが、農場はすでに他人の手に渡っていた。彼女は何も残らなかった。

婆はカルフォルニアを離れ、ニューヨークに移った。そこで彼女はレストランで働き始めた。彼女は日本料理の腕を買われ、やがて店長になった。彼女は子どもを学校に通わせ、大学に進ませた。
彼女は子どものために一生懸命働いた。子どもは成長して、医者になった。彼は婆に感謝し、彼女を自分の家に招いた。婆は孫と一緒に暮らすようになった。

婆は孫によく昔話をした。彼女はカルフォルニアでの幸せな日々や、収容所での悲惨な体験や、ニューヨークでの再起を話した。孫は婆の話に興味を持ち、質問をした。婆は正直に答えた。
彼女は孫に、自分のルーツを忘れないようにと言った。彼女は孫に、人生は困難なこともあるが、希望を持って頑張れば、幸せになれると言った。彼女は孫に、愛する人を大切にすることが一番だと言った。

婆は孫に、自分の人生を誇りに思っていると言った。