まぁでもその本筋の波に乗れなかったとなると、今後の展開にもついて来れなくちゃうだろうから補足したのかな?って。
それに一回で波に乗れてる層も、補足することで世界やシナリオの解像度が上がるだろうから一石二鳥だろうみたいな感じかな?みたいな。
てか2.5と星天演武を見てだいぶ確信を得たんだけど、直接手を下すタイプの復讐をする人は、だいたい巡狩になるんじゃないかなって。
飛霄将軍の他だとブートヒルさんとかかな。
それを踏まえると、アベンチュリンさんって本当に巷で言われているほど復讐が目的になってるのかな?ってなるんだよね🤔
アベンチュリンさんの場合、例え復讐したところでアガリ≠ノならない可能性が非常に高いから尚更。
なんせ復讐した先にアベンチュリンさんが求める答えはないんだもの。
その上、お父さんもお母さんもお姉ちゃんもいないことを知ってるからね。どう転んでも難しいイメージ。
まぁもしかしたら何らかの形で間接的にでも復讐した場合、一時は一矢を報いることで生存者の罪悪感が薄れるかもしれない。
でもそれと同時に、仮に復讐が生きる目的(今までアベンチュリンさんを踏ん張らせてたもの)になってた場合、アベンチュリンさんがこの世に残っている理由も喪失するので、行くも地獄、帰るも地獄なんよな。。
てかアベンチュリンさんの求める答え(アガリ条件)が、人生という壇上に最後まで立ち続けたその先にしかないから、復讐と果てしなく相性が悪いのも地獄なんよな。。
そう考えると、やっぱり復讐ではない新たな選択肢と可能性の模索が、アベンチュリンさんの主題になってきそうな予感がするんだよね。
ただこれってホントいっちゃん持久戦で、過酷な耐久レースで、かつ誰のものでもない、自分だけの答えを自分でみつけるしかないというのがまた……🤔
そういう意味で運命が「存護」っていうなら、だいぶ納得なんだけど意味が辛すぎる。
てか、暴力などの直接的な表現に関していえば、多分まだまだ前哨戦なんだとも思うんだよね。
変な話、今回だと孤族(人型)と歩離人(獣型)だから幾分マイルドになってる部分はあると思うんだよ。
だいぶ辛いんだけど、サメ映画とか怪獣映画とか、その辺のニュアンスが僅かにあるというか。
価値観の違いがビジュアルで出てるから、納得は出来ないけれど生存戦略としてある≠ニいうのを了承せざるを得なくなっているというか。その辺も含めた全体的な理不尽さが、怪獣映画文脈に近い感覚なんだと思う。
ただこれが対人だったらどうなるか、っていう話がブートヒルさんやアベンチュリンさんで控えてるから怖いなってなる。
しかも、答えやある程度結果を得る為には椒丘さんクラスかそれ以上のを等価交換で支払うことになる可能性が今回で示唆されてしまったのが怖い。。
特にアベンチュリンさんはロマの文脈も引っ張ってきてるっていうし、映画の「シンドラーのリスト」みたい感じの文脈もある程度覚悟が欲しいのかなって。。
出来ればハズレて欲しいんだけど、ツガンニヤ人の差別もプロパガンダっぽいニュアンスだから警戒してしまう🤔