男時代劇・第三部
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もし池波正太郎が
暴れん坊将軍の原作を書いていたら
随所に食べ物ぬ話が織り込まれていたのかな
軍鶏鍋、鰻、おでん・・・etc >>174
男色の出会い茶屋で知り合った10歳以上年上のSHNSNと部屋へ。
そしたら「これ着て責めて欲しい」と言われて、六尺というか、魚河岸の人が着てるような格好させられ、捻りハチマキをさせられた。
向こうは全裸。まあこんなのもたまにはいいか、と愛撫してたら、SHNSNが喘ぎ声の中、喋りだした。
「あ、兄上…お、おかえりなさい…た、大漁だった?ねえ大漁だった??」…オレは突然の、しかも想定の範囲を超えたセリフにポカーンとしてしまった。
SHNSNは素に戻って、「…返事して欲しい」と恥ずかしそうにオレに言った
プレー再開耳とかをなめつつ体中をさわさわと触る
「兄上大漁だった?」
「ああ大漁だったよ」
「あぁぁぁあぁすごいいいぃいぃ!な、なにが…ハァハァ…なにが捕れたの?」
乳首を舌でやさしくめながらオレは答えた
「鯛とかヒラメがいっぱい捕れたよ」
セリフを聞きオジサンはびくんびくんと身体をひきつらせた
「はっ!はぁぁぁあんっ!イイサキは?イサキはと取れたの??」 チンコをしごく
「ああでかいイサキが取れたよ今年一番の大漁だ
大漁っ!!イサキぃぃ!!兄上かっこいいいいぃぃぃい ぃくううううう!」 >>179
UESMの時代でも林檎は日本にあったぞ。
但し酸味が強めでアルプス乙女のような小型林檎だったけど。 UESM「TDSKよ、余は牛肉が食べたい!」
TDSK「何をおっしゃいますか、dでもない」
UESM「フフフ・・・牛肉の( ゚Д゚)ウマーさを知らぬな」
TDSK「牛肉なぞ食したら、顔が牛になってしまいますぞ」
UESM「ええい五月蝿い、彦根藩に命じて至急献上させるのだ!」 彦根藩「牛は貴重な労働力!UESM、御乱心か?!UESM側近のKNO殿に報告じゃ!」
紀州藩の時から側近だったKNOに罰として尻を開発されるUESMであった 彦根藩は
江戸幕府から牛の屠殺を公認されていた
唯一の藩なんだぜ
吉宗より後の時代になるが
獣肉であると公言するのは憚られたので
「薬食い」という名目で将軍に献上されていたのぢゃ 御典医「UESM、陰茎が排尿時に痛いですと?診察いたしましょう。おや?鈴口に糞が
こびりついております。陰茎が痛くなるのも当たり前ですな。
では牛の味噌漬けを薬としてお召し上がりください」
UESMの淋しい病はなかなか治らなかったw 仙台の名物料理で「はらこめし」というのがある。
酒の切り身とイクラの乗った、何とも贅沢な炊き込みご飯。
一説には、あの伊達政宗が考案したとも言われている(あくまでも一説)
なお、仙台では、伊達政宗は神にも等しい存在。
「いたちまさむね」などと読んだら心の底から軽蔑される。 松平容保と書いて「まつだいら・かたもり」
最上義光と書いて「もがみ・よしあき」
徳川家茂と書いて「とくがわ・いえもち」
何でこうなるの?
あと、明治時代だが
山本権兵衛と書いて「やまもと・ごんのひょうえ」
ヴァ〜〜〜〜イライラする キラキラネームは昔からあったみたいだな
じゃけん子供に田所って名付けてもOKにしましょうねぇ^〜 UESMは静岡の海岸で富士山バックに馬に乗ってるけど、実際の歴史上の吉宗は静岡に行くことはあったのかな。 >>193
幼少時に和歌山から江戸藩邸移住の時を皮切りに紀伊藩主就任時に和歌山へ領国下向したりして、将軍就任までに数度陸路か海路かにしろ静岡近辺は通過してる。
ただ当時は海路の頻度が多いので松原を行ったかどうかは不明。 俺も久能山東照宮は可能性あるかな、と思う。
本物のUESMが俺の地元の川越にも来てたらいいなー 平時の将軍は、
鷹狩り以外では江戸城の外に出ることは無かったから、
紀州からやって来たUESMは貴重な経験の持ち主
地元では鯨肉を食べてたのかな >>198
でも徳川将軍は家康・秀忠・家光・綱吉(館林藩主)・家宣(甲府藩主)・UESM・家茂・慶喜とほぼ半数は江戸府外に出た経験があるんよな。
まあ綱吉・家宣は比較的狭い範囲しか動いてないし、慶喜は将軍就任中は江戸に全く居なかったりするけれど。 家茂
「和宮タソ(*´Д`*)ハァハァ・・・
御公家さま(*´Д`*)ハァハァ・・・
それにしても京は遠い、遠すぎる!
今度は軍艦で行きたいな」 IESGは遠征先の大坂で掘られまくって病で死にましたとさ 終わり >>202
IESG・・・
九代将軍にして、UESMの嫡男、
でも残念な将軍・徳川家重のことか?
それとも、十四代将軍の、いえも・・・
つ、突っ込まないぞ>< UESM「IESGはきちんと話せんのかのう」
TDSK「御典医に聞きましたが、このまま変わらぬそうで」
UESM「側近どうするかのう。文武も怠っておるしの。
ところで、TDSK、今宵どうじゃ?」 UESMとTDSKのコンビは凄いよね。
それぞれ主役の番組がどっちも何シーズンも続いた長寿番組。
加藤剛のTDSKと松平健のUESMの共演見たかったな。
もっとも山口崇のUESMも好きだ。 「大岡越前」は、
他の時代劇と違って、基本的に立ち回り無しだったけど、
それでも長年愛されてきた番組だったんだな。
異色で、かつ、見ごたえのあるシリーズだったな。 理知的なTDSKのイメージから乱暴なシーンは無いんだろうね 同じ町奉行でも
遠山景元は大違いだな
アレはアレで楽しいが
てゆうか異色すぎ 八丈島は
次から次と重罪人が送り込まれて
まともな社会が成り立つのですか?
佐渡島なら
金山で強制労働させればよいが >>216
八丈で勝手な真似をしたらくさや兄貴が黙っちゃいねえぜ 八丈島は政治犯が流されることが多くて、教養の高い流人は文化をもたらし、むしろ歓迎されていた。
離島としては異例のレベルで文献がたくさん残っているのも江戸の知識人が流されたからだ。
南の島特有の穏やかな雰囲気のせいか、元からいた住民と流人が揉めるようなことも少なかった。
そういう経緯があるから最近まで流人を称える祭があったくらい。
残念ながらイメージが悪いということで名前が変わったが。 >>218
寧ろ人足寄場なんかの更正施設送りやら、軽い盗みの江戸所払いな面子の方がヤバい層。 UESM「こんな暑い日は・・・冷し中華が食べたい」
無理です 明智光秀は真夏の接待で生もの食材を腐らせたことが原因で左遷されて
それが本能寺の変に繋がった
これ豆な >>220
UESM「氷室行って氷取ってこい!」
の方があり得そうかとw 徳田新之助なら、日中から湯屋に行って水風呂に浸かるのも自由だが
UESMとなると、そうはいかぬ。
将軍様は辛いのぅ。 UESMが人前でちんちんみせるわけにもいかんだろうしな。 >>223
毎日鱚を一匹食わなきゃならんし、年に一度佃田の漁民が釣ってきた白魚食べにゃならんし、月半分以上大奥の夜伽やセンズリ禁止(家慶頃)だし将軍はツライ。 UESM
バテバテ〜
「こうも毎日毎日暑くてはかなわん・・・」
TDSK
「こんなときこそ鰻は如何?」
UESM
「それはいい!御膳奉行、今宵は鰻にしろ!」
食べ終わって
TDSK
「アッー!」 二時間スペシャルなんだな。
じいがエレキテル按摩で亡くなってしまったのに怒ったUESMがお忍びで按摩を受けに行ったところ
はまってしまう話だ。 >>231
エレキテル按摩で亡くなる爺は初代の爺がよい。 徳田新之助は財布持ってんの?
どれくらい入ってるの?二朱くらい? よくよく考えると将軍が現金自ら使うことなんてないだろうからどこから持ち出すかにもよるよな
お忍びだから金子を持ていと堂々と言いにくいし
案外街に出たときに適当な奴掴まえて
「やらないか」とか言って自らの尻で稼いでいるのかもしれぬ >>238
ちょwwwwwwww後半
TDSK「拙者では不満ですか?」 恨みはらしますで真田広之の小姓やってるの女なんだよな
30年位前だから少年でやるとか考えなかったんだろうか
もし今リメイクするなら少年でやってくれるだろうか
最近のドラマでは女装男子役も男性俳優がやってるし 刀なんか要らないから
せめて小姓になってUESMのそばで仕えたい。
小姓になるには?
武士階級以外でもなれたの? そこらの小大名ならともかくUESMの小姓となると身分が確かじゃないと無理だったと思う
即ちUESM並みに上手くやってどっかの名家の跡継ぎになるとかやるしかない 「余の顔を見忘れたか」
かっこよすぎ
一生に一度は言ってみたい >>244
いやいや小大名でも家臣の子息を小姓に充てるから、そこの家中のある程度の家格の家の子で将来有望な者で
しかも上級職からの推挙か殿様直々に見出だしてもらえなかったら無理。
実際全くの庶民からUESMや大名に近付きたかったら、男より女性が遥かに有利。女なら金を積んで旗本の養女になると比較的容易に大奥などに入り込める。
が、全くの庶民男性が近付こうとすると元禄以前はまだ武芸で認められる風潮があったけど
それ以降は各武士の家格と職が幕府も藩も固定しだして、相当な学者や技術者として認められて特別採用されるしか道がなかった。
だから一般庶民から小姓になるのは制度的にも年齢的にも不可能。 >>248
そんな〜・・
だから時代劇には湯屋での場面が登場しないのか 今みたいに湯が簡単に作れる時代ではないからな。
薪だってたくさん手に入るわけじゃない。
一部の金持ち商人の道楽的な使い方はあったろうが少なくとも庶民は風呂なんて気安くは行けなかった。 時代劇を見てると、
江戸時代の日本は乾燥気候ですか?
っていうくらい雨が降らないですね。
これじゃあ毎年干魃で米がとれませんよ? 温泉地の温泉も近隣住民が気軽に入れるようなものではなくて殿様専用だったりしたんだろうか 江戸時代だと「温泉=湯治場」じゃないかな
湯治場巡り、大流行したそうだよ
普段は行水、たまに銭湯行って蒸し風呂(サウナだアッー!じゃなくて混浴メイン
だったらしいねw)の庶民にとっては良い娯楽ですなw >>251
実際の江戸〜明治まではプチ寒冷期で干魃は結構あったし、更にまだ昭和になるまで灌漑が進まなかった地域やら
干拓しても塩分が抜けず米が作れない地域も多かったから大中規模飢饉が頻発してる。
尤も世界的にプチ寒冷期だから、別に日本だけそうだった訳ではない。 江戸まで遡らなくても戦後の昭和時代の画像を見てても
東京で前回の五輪やってる頃の北海道の開拓地の写真とかとても興味深かった
当時の東京の電力事情とかは知らないけど
同時期にまだ電気も通ってないところがあったり
小さい車が通れるほどの道もなくて船とか徒歩でしか行けない集落もあったのかな? UESMはサンバも爪水虫のCMも喜んで引き受ける気さくなお人柄なんだぜ? UESMももはや爺と呼ばれる年になってしまわれた。 TDSK
「UESMにスッポンと変若水の献上がございます。元気が出たり若返ったりという効能が
ありますな。私の尻も献上いたしますが、いかがなされます?」 UESMは、夜は何時ごろまで起きてるんですか?
夜更かしはお肌にさわりますよ? 松平定知
「岡場所は禁止!」
UESM
「我が孫のくせに生意気だ!岡場所はともかく、陰間茶屋は無くさないからな」 UESM「これからの季節はミカンがうまい」
TDSK「結構ですな。しかし駿府のミカンは高値ですから」
UESM「余の故郷の紀州から運ばせよう。おい、紀伊国屋を呼べ」
かくして、江戸の民は紀州のミカンを食べられるようになりました
めでたしめでたし お城の門番は二十四時間体制だったのですか?
UESM「よう小者、夜勤ご苦労さん」 UESMも若い時は現代劇で「走れ、熱ケツ刑事」にも出演されてたんだな 「松平」という芸名自体が
時代劇俳優(しかも大物)であることを想定して付けられたと思うのであった イントネーションは「ま→つ↑だ↑い↓ら」なのか、
「ま↑つ↓だ→い→ら」なのか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています