男昭和
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26 神様仏様名無し様[sage] 2022/07/24(日) 11:10:11.74 ID:4Lq7Yl29
こんな時代
高度成長期の日本の状況
・ハワイが一生に一度いけるかどうかの夢の国
・パイナップルの缶詰がぜいたく品
・うなぎ、マグロ、牛肉は庶民の口にはめったに入らない
・お菓子といえば、焼き米、かきもち
・川は公害で真緑色、海は赤潮で赤色。背骨がグネグネの魚が取れる
・発がん物質DDTを頭からぶっかけ。今は使えない危険な農薬も使いまくり
・公害病が各地で大発生、交通戦争、受験戦争
・バリアフリーなんかなく、障害者になったら一生病院か蔵の中
・中共の気違いがボカスカ原爆の空間実験をしていたから雨に濡れると頭が禿ると親に叱られた
・人さらいが横行してたから5時過ぎまで外で遊んでると「サーカスに売られてしまうから」という理由で親に殴られた
・ドブ川はメッキ工場の青酸廃液できれいなエメラルド色がデフォ
・ソーセージ工場からは肉の生残滓がものすごい蒸気とともに排出されて即腐敗
・とにかく街中工場排煙とドブ泥、腐敗臭が満ちていた
・クラスに2~3人は小児喘息をかかえた同級生がいた
・ジュースの素はなぜか陽の光に当てると色が消えた
・電車に乗ると超汗臭いオヤジが必ずひとりは乗ってた
・はしけから通っている水上生活者の同級生がいた
・上野不忍池の畔にはぼったくり屋台のおでん屋がいた
・大人もヤクザが怖くて馴染の店以外は夜飲みに行けなかった
・川崎球場はガラスでできた1合瓶が後ろから飛んできて普通のサラリーマンが殺し合いのけんかをしていた
・大人は戦争で人を殺した経験があるヤツがウヨウヨいたからケンカはいつも殺し合いのようだった
・集団予防接種の針は使い回し
・ビルの基礎工事で昼間は杭打ち機が一日中コーンコーン
・台風が近付くと大概は停電もセットで発生
・国鉄はほぼ毎年ストライキで運休する日があった
・ほとんどの家は木造平屋、プロパン、トタン屋根も非常に多い
・下水がないので、バキュームカーというウンコ収集車が定期的に来る
・空き地が多く、危険な薬品や資材などが雨ざらしなってて子供がそこで面白がって遊んでた
・野犬がウロウロしていて襲い掛かってくる
・各町内に必ず一人はヤクザや右翼団体がいて、なにかあれば「率先して」カタギがたのみに行っていた
・インフルエンザはただの風邪、ワクチンも薬もなく今のコロナより怖かったが大っぴらにならなかった
・風俗行くとほぼ土産がついた
・変死したらなんでも自殺扱い
・オートマが少なくて下手なドライバーが悪い道でエンスト祭り
・路地やあぜ道やルパン三世みたいな山道が一級国道
・ガンは早期でも不治の病、そもそも早期で見つかる技術がない
・子だくさんだが気がついたらいない兄弟がいた…
・山谷や西成は今よりひどく、もう日本ですらなかったが、そんな場所は46都道府県あちこちにあった
・軽微な台風来たら農作物が無くなる、でてるやつは農薬漬け
・軽微な地震で建物崩壊、震度5で大震災 そんなでも今より活気が溢れてたんだから何なんだろうね。 まあ令和がつまらん時代になるのは間違いなさそうだな。
令和に比べたら災難続きの平成すらマシに見える。 ニニ六事件にて
睾丸に弾丸が命中したにもかかわらず生きのび、
最後には79歳の高齢で首相を引き受け、
日本の敗戦を受け入れた鈴木貫太郎は漢 >>9
鈴木貫太郎って幕末に関宿藩の大阪藩邸でうまれたんだっけ?
そう考えると江戸時代ってわりと最近だな 鈴木貫太郎とは
○海軍大将(これだけで十分すごい)
○昭和天皇に認められ、侍従長に大抜擢
○二・二六事件で、天皇を惑わす「君側の奸」扱いされ、殺されかける
○侍従長としての功績を認められ、男爵になる
○東條英機が失脚した後、紆余曲折をへて、昭和天皇の「もう他に人が居ない。曲げて承知してくれ」という直々の頼みにより、79歳で首相に。
○ルーズベルト大統領が亡くなった時、敵国の指導者であるにもけかわらず、公式に弔慰を表明(ちなみに、ヒトラーは口を極めてなじった)
○強硬派の軍部を抑えるには天皇直々の発言しかない、と決意し、御前会議→終戦詔勅まで持っていく
日本史の授業は、近代は端折ることが多いが、この偉人については、きちんと教えてほしい 昨日の読売夕刊は
1970年11月25日の
三島由紀夫の
陸上自衛隊
東部方面総監部
立てこもりの記事 空襲警報
↓
近所の人たちが防空壕に駆け込む
↓
真っ暗
↓
ズブリ ナンパ師のヤリチン 湘南乃風
最近 風俗嬢をストリートナンパするのにハマってる
カーテンから手を引かれて部屋に着いたらナンパスタート
おちゃらけて軽く冗談言ってウケたときの快感たまらん
みんな帰る頃にはすっかり俺の女になってる
でもヤリチンだからあまりリピートせず食い荒らしちゃうのが玉にキズ 昭和の作文
・・・
小学五年になって一ヶ月、こんな自由作文を書いた。
「今年から担任になったみちこ先生は、とてもこわいです。
一つ忘れ物をすると、ぶん殴ります。
二つ忘れ物をすると、ひっぱたきます。
三つ忘れ物をすると、何をされるかわかったもんじゃないです」
この作文をみちこ先生に提出した俺は救いようのない大バカ者だ。恐れを知らないというか・・・
数日後、みちこ先生は、クラス全員の前でその作文を読み、しかも、その作文を書いたのが俺であることも宣言した。
ただし、これ以降、みちこ先生は、何故か、ぶん殴りもひっぱたきもしなくなった。
後から聞いた話では、その作文を読んだ隣の組の担任の先生は大爆笑したらしい。 昭和の首相・濱口雄幸(元首相)の「雄幸・おさち」という名前は
親が「どうしても女の子が欲しい」と願い、
生まれる前から「お幸・おさち」という名前を準備していたら、
男が生まれてがっかりしてしまい、
「ええい、男だけど『おさち』にしてしまえ」と命名された、
というトンデモ話を聞いたことがある 1945年3月10日
東京大空襲があった日
今年79年目 殉死しなかった軍人は恥さらし
またの名を仮性ほうとう ガチホモの一人や二人死んでもやむを得ない
池田糞人 実家にいるが、宏和叔父さんは白髪だらけで大人しくなってた。代わりに長女の美紀子伯母が認知症で下品な話ばかりしていたぜ?
昭和も遠くなったな。 俺にとって、天皇と聞いて思い浮かべるのは
昭和天皇ただ一人。
今の上皇陛下は、ただのオッサンとしか思えない。
今の天皇?浩宮のボンボンが、どうかしたか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています