現在和泉市域に属するかつての南王子村を中心に、1920年代から朝鮮人が集住し始めた。
南王子村はもともと農業が主産業であったが、明治末期に始まった人造真珠業が部落の生
活を大きく変化させた。
人造真珠のもとになったのは「和泉玉」と呼ばれるガラス玉で、これに当初は太刀魚の鱗など
を塗装して人造真珠が作られるようになり、1920年頃から現在のような人造真珠になって、世
界市場に広く進出するようになった。最盛期には南王子村の8割以上がこの仕事に従事した
といわれる。
朝鮮人がこの地に定着し始めた時期と、人造真珠の製造の中心がここに移ってきた時期は
ほぼ一致する。このガラス玉の加工および人造真珠に数百人の朝鮮人がかかわった。
 戦後の状況については、1959年2月に発表された朝鮮人の調査による「大阪府泉北郡朝鮮
人集団居住地域の生活実態」(『朝鮮問題研究』第3卷1号所収)に詳しい。
この調査は1958年12月に泉北郡信太村、八坂町(旧南王子村)を対象に57世帯、329人を
調査したもので、「ガラス玉職人から足が抜けられない のは職業の安定性にあるのではな
く、原玉仲買人からの借金の累積、その返済のゆとりをもてない恒常的な困窮にある」とい
った生活状況が述べられている。