明治維新まで旧暦4月22日におこなわれる、河内国磯長村(現・大阪府南河内郡太子町)「上の太子」(叡福寺)の会式の日は、好きなことをしてもよかった。
「太子の一夜ぼぼ」といい、この夜は男女とも、だれと寝てもよかったという。熊太翁も15歳になったとき一夜ぼぼに行き、初めて女と寝た。それから後も、毎年この日は出かけていった。
女の子はみなきれいに着飾っていた。男と手をとると、そのあたりの山の中へはいって、そこで寝た。これはよい「子だね」をもらうためだといい、その夜にかぎられたことであった。このときにはらんだ子は父なし子でも大事に育てたものだという。
明治元年になると、いつでも誰とでも寝てよいということになり、昼間でも家の中でも山の中でも好きな女と寝ることがはやった。それまでは、亭主のある女と寝ることはなかったのに、そういう制限もなくなった。
しかし、警察がやかましく言うようになり、明治時代の終わりごろには止んでしまったという。