マリア放蕩記
結局この世界がシミュレーションかどうかなんて 物質文明(科学文明)が進歩したから考え出したことなんだけどね >>432 人間は四次元以上の世界を想像出来ても感知できないらしいです 超ひも理論とかだと10次元以上あるらしいです 5次元の世界だと波動の世界になるんじゃないですかね 超ひも理論によるとこの世界は 素粒子よりも小さな極小の「ひも」が様々な振動をすることで種々の「素粒子」の姿を現して それらが「物」や「光」や「エネルギー」などを作りこの世界を造り出しているというもの ギターが弦の振動だけで無数の音を奏でるように 一本の『ひも』の振動だけで宇宙の全てを造り出してしまうという発想がなんとも面白いですね かつての日本人は物質(お金 もの 外見)に囚われない高潔な精神性を持っていた 精神を一番大切にしていた 現代日本人は物質(物質世界)に囚われた人ばかり 物質主義が行き着くところは結局虚無主義 ロボットやAIが進化すれば人間すら必要なくなる 物質が虚像だということがわかれば 精神が本体でこの世界が一つの精神世界だということがわかる 回る回るよ時代は回る 喜び悲しみ繰り返し https://youtu.be/7BFGJ5W9k0U あんな時代もあったねと こんな時代もあったねと 何故疑問に思わないのか?ここが怖いところです。 インターネットって怖いものっていう意識がまるでないのです。学校で習いませんでしたかね? うん。習ってないんですよね。何故ならこの素直で善良な人たちは、私たちの親世代だから…。 まぁ40〜50代の人たちだと思われます。学校では習わなかった世代なんですよね。 私たちの世代…まぁ多分、インターネット黎明期にパソコンを触れることが出来る年齢であった30代から、ゆとり世代以降の人々は、学校でネットの怖さなどについて授業がありました。 掲示板に書きこみをすることひとつとっても、もしかしたら何かの情報をぶっこぬかれてるか、それとも何か送り込まれているかもしれない、と知っているんですが、 中高年の方々は本当に知る機会もなければ、知ること自体がもう「どうせわからないから」という境地になっちゃってて。 まぁ、例えば自分のおばあちゃんにLineの使い方をイチから教えると考えるとちょっとウンザリしますよね?「どうせ分からないよ」と。 若い人も、中高年に教えるのが面倒。中高年も教わるのが面倒。 そして中高年は、何故か性善説支持者(ただしインターネット内に限る)。 このような不幸な要素が重なり合い、現在、中高年の方々はネットリテラシーについて学ぶ…というとおかしいのかなぁ、なんていうか、直球で言うとネットの怖さやら、 全世界に情報が発信されているよということやら、一切分かってないままインターネットを使っているのです。 フェイスブックやツイッターで実名を出して色んな所にアクセス。変なサイトの会員にも安易になる。なんかちゃんとしたサイトに見えたから、とかそんな理由で、氏名、住所、電話番号、メールアドレスとかをフォームに入力して送信しちゃう。 その結果、おかしなメールがきまくるわ、変なはがきが来るわ、みたいなことが起こるんですけどね。 日本における最近の嫌煙運動は明らかに行き過ぎであると思われます。 前回の「ヘルシーキャンパス21」に掲載された、嫌煙団体が発表している合成写真や誇張された数字の羅列は、少なくとも真理追究の場としての大学には全くふさわしくないと思います。 浅野牧重氏による人工的に捏造された「きれいな肺とタバコによって汚れた肺」が小学生用の副読本やいろいろなパンフレットに転載されていますが、これが作為的に捏造されたものであることはあまり知られていません(生体の肺はけっしてあんな風に黒くはなりません)。 せめて我々大学の研究者くらいは、世の中のメディアで流通するでたらめな情報に惑わされず、一次データや正確な科学的検証に基づく議論をしていかなくてはならないのではないでしょうか。 悪いもの」「汚いもの」「役に立たないもの」「不快なもの」はすべて排除してもいいという考え方には文明の病理が色濃く感じられます。 「健康増進法」という、名前を口にするだけでも恥ずかしくなる悪法を作り出した日本は、歴史に汚点を残したと言えます。 こうした法制化のルーツが、ナチスドイツにあり、その結果ユダヤ人や精神障害者虐殺を招いたということを思い返す必要があると思います。 ここでは、「タバコが肺ガンなどの原因になる」「受動喫煙は非喫煙者の健康を損ねる」という二点に絞って、嫌煙キャンペーンの「嘘」を暴いていきたいと思います。 タバコは肺ガンの原因なのだろうか? 肺ガン死亡者の増加が喫煙人口の増加と比例しており、喫煙とガン死亡者の増加が相関していると言われています。 けれども、過去35年間で肺ガンの死亡者数が約10倍になったという数字やグラフは老人人口の増加と、CTなどの医療器具の発達によるガンの発見確率の増加を全く考慮にいれていません。 厚生省自身が発表している「人口動態統計」における「年齢調整訂正死亡率」を見ても、肺ガンの増加はほんの僅かであり、ガン死亡率は少しも増えていないことがわかります そもそも、喫煙者人口が劇的に減少している英米などの外国でも、肺ガンの発生率は全く変化せずむしろ増加しています。先進工業国で最も喫煙率の高い日本が肺ガンの発生率が最も低く、平均寿命世界一ということを考えてみても、 喫煙とガン死亡率の因果関係はきわめて疑わしいのです。自動車の排気ガスや飲酒がガンを引き起こすという疫学的データはあっても、タバコの煙だけでガンが発生するという実験結果は、実は世界で一例たりとも存在しません。 恣意的に喫煙者人口の増大と単純な肺ガン死亡者総数のグラフが重ね合わせられているだけで、「タバコ=肺ガン」説は科学的には全く根拠がないのです そして、タバコが子宮体ガン、乳ガンの発生率を逆に低めるというデータや、アルツハイマー病にかかる確率が非喫煙者の1/3であるという事実、ラットなどの実験で迷路学習能が上昇するなどといった、 嫌煙派に都合の悪いデータはなぜか隠されています。 どうしてなのでしょうか? それはこれらが嫌煙派の人々によって恣意的に解釈されたデータであり、科学的な検証よりも感情的な議論ばかりがなされてきたからです。たとえば、肺ガンによる死亡率は人口百万人あたり数千人です。 ということは、百人あたりに換算すると僅か十分の何人という計算になります。その中で非喫煙者と喫煙者の肺ガン発生率の違いの統計的な比率、たとえば、1:1.3というような比率のもつ有意性が統計学的には「喫煙者が肺ガンにかかる確率は非喫煙者の5倍から10倍」というように翻訳されているのです。つまり、百人中0.1人と0.13人の差を「多い」と思うか、 「たいしたことない」と思うかという「解釈の違い」の中にしか、「タバコの害」の根拠は存在していないのです。 また、喫煙者がタバコを吸うのをやめても、この数字は全く減少しないことも知られています。つまり、禁煙しても、「肺ガンにかかりやすい」という確率は全く下がらないし、何の意味もないことになります。 肺ガンとタバコの因果関係が疑わしいということに気づいた嫌煙派側は最近になって急に、気管支炎、心臓病、COPD(慢性閉塞性肺疾患)の危険性を強調する方向にシフトしてきています。しかし、これらの病気とタバコの因果関係も全く証明などされておりません。 特に最近まで100%喫煙が原因とされてきたCOPDが非喫煙者で多く発生していることからも、このタバコ=病因説は一層怪しくなってきています。 タバコの煙は喉や気管を刺激し炎症を起こしますから、慢性閉塞性呼吸障害や虚血性心疾患の人はタバコをやめた方がいいのはもちろんです。しかし、それ以外にタバコが健康に深刻な影響を及ぼすということは、科学的・医学的には全く「証明」などされていないというのが真実なのです (肺ガンは5倍、咽頭ガンは50倍、喫煙者の妻のガン死亡率は2倍といった衝撃的なデータを発表した元国立がんセンターの平山雄博士の論文のいい加減さとデータのいかがわしさについては多数の指摘があります)。 タバコは発ガン物質の塊か? それでもタバコの害を信じる人たちは、不確かな疫学的データに重ね合わせて、有害な「発ガン物質」の存在を引き合いに出してくることが多くなっています。 確かに、タバコの成分中約1千万分の5グラム前後のいわゆる「発ガン物質」が含まれていることは知られています。 しかし、焼肉や焼き魚の焦げが「発ガン物質」とされているように 、ラットなどへの強制摂取実験によって発ガン性があるといわれている「発ガン物質」は他にも数多く知られており、お茶、コーヒー、みそ、醤油、ソース、ワインなど多くの食物にはタバコよりももっと多様で大量の「発ガン物質」が含まれているのです。 その上、タバコの中にはその逆に発ガンを抑える「発ガン抑制物質」も数多く含まれていますが、そのことに触れられることはあまりありません。 我々が飲んでいる水道水には1グラムあたり約百万分の5グラムの発ガン物質「トリハロメタン」が含まれていますが、これは安全基準を満たしていているとされています。 一日に1リットルの水道水を摂取すれば、それはタバコの一万倍以上の「発ガン物質」を摂取していることになるのです。 つまり、タバコの発ガン性とは他の食品や日常摂取する水道水と比べても遥かに低く、全く問題にするほどのものではないのです。 タバコをまるで「発ガン物質」の塊のように言う人は、水道水やみそ汁、お茶などをはじめ日常的な食事のすべてを否定しなくては論理的におかしいことになります。 また、ラットなどへの強制喫煙でガンが発生するだけのタバコの量は、人間の場合一日数万本に当たります。そんな量のタバコを吸う喫煙者や受動喫煙者は実際には存在し得ないのです。 誠実な研究者なら、発ガン物質が存在するかどうかよりも、その摂取量をなぜ問題にしないのかを問わなくてはなりません。 そして、その量は喫煙者の場合にも受動喫煙をさせられる非喫煙者の場合にも、生活の上で問題にならないほどの微量なのです。 なせ非科学的な嫌煙キャンペーンが執拗になされるのか? 養老孟司さんは、現代の「嫌煙キャンペーン」を、かつてニクソン大統領がベトナム戦争の枯れ葉剤に対する環境団体の非難を交わすために、政府の資金を使って故意に「反捕鯨キャンペーン」を作り上げたのに似た、巨大な政治的陰謀ではないかと指摘しています(『ブルータス』2005年3月15日号)。 反捕鯨運動において、国連やIWC(国際捕鯨委員会)が果たした役割と、米国が主導権を握るWHO(世界保険機構)が反喫煙運動において果たした役割とは確かによく似ています。 上に見てきたように、タバコには巷間声高に主張されているような「害」などは存在しません。あるいはより正確には「存在しているという証拠はどこにもない」のです。 なのに、タバコだけがなぜこれほどまでに攻撃を受けるのでしょうか。端的に言ってそれは「煙たい」からだと思われます。タバコの煙は目に見え、匂いもします。この目に見え、鼻で感じられる「異物」を消滅させたい。自分の目に見えるところから不快なものを排除したいという欲望がそこには感じられます。 また、それが「科学的に証明されている」という間違った認識から「自分が正しいことを言っている側にいる」という自己満足と快感を生み出しています こうした人たちは自分がいない場所からさえもタバコを駆逐しなくてはならないという使命感を持つようになり暴走を始めます。 たまたま自分が雑踏の中で煙たい思いをしたからと言って、路上禁煙とか屋外禁煙を条例化しようとしたりルール化しようとしたりするのは行き過ぎです。とにかく「悪い」ものだから「追放する」というのは、男女合わせて約30%、 男性だけだと約50%近くいる喫煙者に対する行き過ぎの迫害だと言わざるをえません。 タバコは「百害あって一利なし」などとよく言われますが、もちろんそんなことはありません。コーヒー、お茶、酒などのあらゆる嗜好品と同じく、タバコは喫煙者にかけがえのない愉しみと喜びを与えてくれます。 だからこそ世界中に広まり、日本においても400年の長きに渡って愛され続けてきたのです。また、頭をすっきりとさせる効能をはじめ、さまざまな「益」を与えてくれています。最近では構内全面禁煙にする病院なども出てきていますが、人生の最後を迎えようとしている患者の末期の楽しみまで奪ってしまうようなこうした措置は明らかに間違っています。 死刑囚ですら、刑執行の前にはタバコを吸うことを許されているのです。 私がここで主張したかったのは、「タバコの害」という神話が捏造されているという「事実」です。 それが、非喫煙者にまで健康上の「害」を与えていることが「科学的に証明されている」というのは明らかに「嘘」であると明確に指摘しておかなくてはなりません。 様々な実験データや疫学的調査の中で、それを明確に「証明」しているものはこれまでひとつもないのです。もし、あると言う人が居るなら是非私に教えて下さい。 医学的にまだ研究途上にあるものを「既に証明されている」として、法制化までしてしまおうというこの国の現状に対して、私は大きな危機感を抱いています。「メディア・リテラシー」の重要性もますます指摘される今日、せめて大学人だけは、 タバコに対する現代日本のヒステリックで非科学的な主張に対して、冷静な認識を共有していただきたいと願っています。 科学・哲学は、疑うことからスタートします。 このことは極めて重要なことです。 学問のスタート地点は疑ってみることです。 ものすごく簡単に言うと、 空はどうして青いのだろう? 夕焼けはどうして赤いのだろう? 平等って何だろう? 正義とは何だろう? 地球は平って言われているけど、本当に地球は平なんだろうか? 宇宙の中心は、本当に地球何だろうか? というような疑い・疑問・疑念です。 常識であったり、抽象語であったり、ドグマであったりするものを疑うということが、学問のスタート地点です。 空が青い・夕焼けが赤いのは常識だからといって、何も考えなければ科学は生まれません。 常識に疑問を持つことがまずは重要です。 地球が平だとか、宇宙の中心は地球のというのは、数百年前まではドグマ、つまりは、絶対的な(強制された)真理でした。疑うことを許されない真理でした。 でも、このドグマを疑ったのが、コロンブスであったり、コペルニクスであったり、ガリレオであったり、その他、多くの科学者たちでした。 常に、常識を疑う、抽象的に論じられていることを疑う、ドグマを疑うということが、思考の出発点であり、学問のスタート地点です。 デカルトは世界の全てを疑った 疑ったからこそ近代哲学の父と呼ばれている 要は「自分の頭で考える」ということは、すべてのことを鵜呑みにせず、言われたことや見聞きしたことに対してすべて疑ってかかり、必ず自ら検証し、他人とは違う自分なりの見解を導き出すことです。 先述の「前文(無知の知)」を根本的な考えとしたのは、哲学の父のソクラテスでした。 この「第1条」で有名なのは、哲学に加えて数学という「考える」ための二大学問においていずれも大きな業績を挙げて、それらの基礎を築いたフランスのルネ・デカルトです。 幾何学の基礎を築き、数学者としても大変有名なデカルトですが、彼の残した哲学上の業績がこのような「方法的懐疑」の浸透です。 彼は、ありとあらゆるものを疑ってかかりましたが、最後に残った「疑いようのないこと」が、疑っている自分自身の存在でした。そこから出てきた言葉が、よく知られている、 「我思う、故に我あり」 という言葉です。 これもまた極端な疑い方ですが、要は、考えることの基礎には疑うことがあるということの端的な表れといっていいでしょう。 「宗教は信じることから始まり,科学は疑うことから始まる」のです。ニュートンの万有引力を疑うことから相対性理論が生まれたように,科学は常に定説の否定から新たな地平を切り開いてきました。 それが科学の進歩です。逆に,宗教は教祖の言葉や聖典の言葉は絶対否定しないし,疑おうともしません。 それらを疑ったら宗教そのものが成立しなくなるからです。 疑ったら負け,疑われたら負けです。教えへの絶対服従こそが宗教を成立させます。 地震だけでなく異臭と異音と地鳴りで、逃げるに逃げられないから幻視すら見えるんだな。 諦めて心を穏やかに保てば、死を受け入れられます。 安倍元総理も意識を失う前に微笑んだそうだから、運命を受け入れて笑顔で逝ってください。 【芸能】橋本環奈 風呂上がり「すっぴん」でファンと交流 誹謗中傷に対する考えも披露「次元が違うと思わないと」 [フォーエバー★] http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1659171841/ 橋本は「すっぴんですよ、お風呂上りなので」とTシャツ&ショートパンツ姿で登場。 最近自宅に設置したというビールサーバーで入れたビールを一口飲むと「はぁ〜うまっ!」と可愛らしく声を上げた。 その後はビールを飲みつつモグモグと食事も取り、寄せられた質問に答える形で配信を進行。以前も「お酒が好きでよく飲みます。ビールが好き」と話していたが、この日も「ビールサーバー、おいしすぎてビックリ。めちゃくちゃおいしいです。 ビール終わったら焼酎飲んだりしますよ、家だと」とビールにハマっていることを明かした。 以前インスタライブでコラボしたこともある女優・浜辺美波からもコメントが届いていたようで、「みーちゃん、最近会えてないんですよ」と明かす場面も。 連絡は頻繁に取り合っているといい、「気を遣わずに連絡を取り合える友達ですね」と話した。 インスタライブを配信した理由については「ツイッターのフォロワー様が400万人を超えましてそれを記念にライブしたいなと思って。 フォローしてくださっている皆様、ありがとうございます」と説明しファンに感謝。一部からは誹謗(ひぼう)中傷のコメントも届くと明かし、「いいんです、ミュートするんで、すぐ。(誹謗中傷は)ダメだよねってずっと言ってるけど、なくなるものじゃないのかなと思うし。 その人と次元が違う、考え方が全く違うって思わないと、やっていけないですよね」と自らの考えを語った。そして「でも傷付いてるとかじゃないんで、心配しないでほしい。私はそれを言われるよりも、そこで“環奈ちゃん、傷ついているだろうな”ってファンの方が一緒に傷つく感じが嫌です。 嫌っていうか切ない」と心中を吐露し、「私はまったく気にしてないから」とファンにメッセージを送っていた。 教えとく人類は下を作って生きてきたのだよ 誰かを見下すことで自分の居場所や安心感を得る それが差別やいじめの根幹 そう自分はずっと無駄な努力をしてきた ずっと独りで生きていけると思ってた でも辛い想いを乗り越え 出会った全ての人に感謝する時が来た 愛することは何よりも大事なことだとわかった https://youtu.be/oAPb0mWjzfo 総合マーケティング支援の(株)ネオマーケティングによる「若者の消費トレンドに関する調査」(※)結果が公表されました。 「若者の○○離れ」という言葉が飛び交う昨今、実際に若者はどのようなことに興味を持ち、お金を使っているのでしょうか。 まずは、多くの若者の生活に密接している、SNSについての調査結果を見てみましょう。1日のうちSNSを利用している時間については、最も多かったのが「1日に1時間未満」で31.7%。一方で「1日に10時間以上」という回答も全体の2.0%を占めました。 約2割を占めた「ほとんど利用していない」との回答者以外の人にSNSへの投稿内容を聞いてみたところ、最も多い回答は「自分の好きな体験」でした。 SNSをほとんど利用していないと回答した人(n=768)は、SNSについて「友人・知人の顔色をうかがっている気持ちがする」「『いいね!』の数が気になる」「SNSの世界だけでのやりとりは窮屈(きゅうくつ)さを感じる」「『いいね!』をもらったり、お返ししたりしなければならない気持ちになり面倒」などの項目について「そう思う」と答えた人が、すべて40%を超えていました。 スマホなどのデジタルツールが普及している一方、SNSは「面倒」「窮屈」と感じている人も多いようです。 SNSをしている人に対して、SNSに限らず(誰かの反応を気にせずに)自分の好きなことやよい経験となる体験をしたいと思うかを質問したところ、全体の75.8%が「そう思う」と回答しました。 「誰かの反応を気にしなければならない環境」に息苦しさを感じている若者が多いようです。 いいねの数を誇る風潮こそ物質文明的な虚無思想 重要なのは友達の数(量)ではない その友達は本当に友達なのか? そんなんだからSNS上での表面的な浅い人間関係しか築けない 重要なのは友情の深さ(質) 英「ガーディアン」紙の記者スー・ユンは、インスタグラムを使っているとき、自慢だった記憶力が驚くほど落ちていることに気がついた。テクノロジーに依存する生活のせいで、集中力は続かない。姿勢や視力、睡眠の質まで悪くなった。 そこで、彼女はすでに「SNS断ち」を実践している5人の一般人を探し、それぞれの感想を聞いてみることにした。 看護師モーガン 「容姿のせいで『嘘だ』って言われるけど…」 30歳のモーガン・リチャードソンは、ロサンゼルスのコロナ対策ユニットの一員として働く看護師。彼女はSNSをいっさい使っていない。 SNSを持たない若い女性としての経験を語りましょう。以前、男性と交際していたとき、SNSアカウントを持っていないことで、みんな私を嘘つきだと思っていたようです。 私はかなり見た目がいいほうだから、みんなそう思ったのでしょう。「彼女は嘘つきだ。ほかの人たちを監視したり、 自分に酔った投稿をしたりする秘密のアカウントを持っているに違いない」ってね。みんな、私に理由を聞くことすらもしませんでした。 でも、SNS断ちの生活のおかげで、短い期間でも、驚くほどたくさんのことを達成できました。現在、私は学校に通いながら、フルタイムで働いています。大学院の修士課程に出願する準備もできています。 SNSがないおかげで、時間を無駄にせずに済みます。また、時間を奪うような人たちからオンラインで攻撃されることもありません。自分のためだけに、時間を使うことができます。 私はオンラインショッピングもしません。ひっきりなしに出てくるネットの広告も見ずに済むので、物欲が暴走することもありません。アプリも入れていないので、通知とも無縁です。メールが届いたらバイブレーションでわかる、それだけです。 質のいい睡眠が得られるためか、集中力も持続していると思います。看護学校にいるときは、友人たちがスマホを手にしたり、スマホを探したり、SNSを見たりしているのを何度も目にします。 私が何時間もずっと勉強している傍で、友人たちは休憩したがっていましたしね。私はGPAで4.0を獲得しました。でもそれは、私にとって妨げになるものがなく、努力を続けられたからだと思います。 私は6歳の頃からパソコンを触ってきました。パソコンが進化していく過程を見ることができたのは、とても幸運なことです。みんながお互いに繋がっていることは素晴らしいですし、私たちがオンラインでできることも、目を見張るものがありますよね。 ですが、しばらくすると、誰もがネットのネガティブな面に気づきはじめることでしょう。自分に本を読む時間や意欲は残されているだろうか? それどころか、短い記事を読む時間や意欲さえ残されていないのでは? そうしたことに気づくのではないでしょうか。 実生活で周囲の人たちと話すとき、彼らの多くが「ねえ、この人のツイッターの投稿、見た?」とか、「この人のフェイスブックの投稿、見た?」と聞いてきます。これはとてもショッキングなことでした。オンラインでの人生なんて、つまるところ何の意味もないのに。 私は彼らに「5分前、自分が何てツイートしたか覚えてる?」と尋ねました。すると、誰ひとりとして、自分のツイートを思い出せなかったのです。彼らは、誰ひとりとして充実した人生を送っている感じがしませんでした。 Russian occupation officials in Zaporizhia Oblast have obliquely declared the region’s independence from Ukraine by falsely identifying Ukrainian citizens entering the occupied region as temporary asylum seekers. Head of the Zaporizhia Oblast occupation administration Yevheny Balitsky signed an order that designates Ukrainian citizens arriving in occupied Zaporizhia Oblast as temporary asylum seekers based on Russian law. The order requires the registration of Ukrainian and Russian citizens based on their place of residence or place of arrival in the Russian-occupied parts of Zaporizhia Oblast and requires the distribution of temporary identification forms for all “stateless persons.” Ukrainians and Russians may register if they present proof of their temporary asylum application. This decree has various implications under both international law and domestic Russian law. International law states that a refugee is an individual from outside the country (or who is stateless) who is seeking “temporary asylum” in another country to escape persecution. Russian law defines a refugee as a person ”who is outside of his/her country of nationality or habitual residence.” Neither of these statuses properly apply to the majority of people crossing from unoccupied Ukraine into occupied Zaporizhia. 私が若いころ、祖父母の話を聞こうとしなかったことを思い出します。でも、いまは祖父母の話が聞きたくて仕方ありません。彼らの話は本物ですから。彼らは充実した人生を送り、記憶に残ることをたくさん成し遂げました。SNSでの出来事にいちいち動揺したり驚いたりする代わりに。 そういう私も、10年間ツイッターを使っていました。私のアカウントには1万1000人のフォロワーがいて、1日に2~5時間はツイッター上にいた気がします。それはまるで、よくない恋愛関係みたいなものです。ある時点で、「オーケー。終わりにしよう」と思うときが来る、そんな感じです。 SNSをやめた瞬間、より幸せになっていることは間違いありませんよ。今ほど精神状態が好調なことなんて、これまでにはありませんでした。 私が若いころ、祖父母の話を聞こうとしなかったことを思い出します。 でも、いまは祖父母の話が聞きたくて仕方ありません。彼らの話は本物ですから。彼らはSNSとは無縁の充実した人生を送り、記憶に残ることをたくさん成し遂げました。 SNSでの他人の出来事にいちいち動揺したり驚いたりする代わりに。 香川照之の性加害で被害者がPTSDに 下着を剥ぎ取り、キスをし、胸部を直に触り…やりたい放題セクハラ ★2 [Anonymous★] https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1661307235/ 俳優・香川照之が2019年7月、銀座のクラブでホステスに対して胸部を触る、キスをするなどの性加害に及び、被害女性がPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患っていたことが判明した。 *** その女性・美麗さん(仮名)はトラブル翌年の20年5月、香川の暴走を止められなかったという理由で、クラブのママに対して損害賠償の請求訴訟を起こした。 東京地裁に提起された訴訟自体はすでに昨年、取り下げられているが、手元にある訴状によると、香川は19年7月に、銀座の高級クラブを訪れていた。 その訴状には、同日午後11時ごろ、当該クラブの個室で行われたこととして、こう書かれているのである。 〈訴外香川の隣にいた子が席を外したため、その席に原告が移動したところ、突然、訴外香川は、原告の服の中に手を入れ、ブラジャーを剝ぎ取った。 剥ぎ取られたブラジャーは、被告及び同行の客3名に次々と渡され、全員がその匂いを嗅ぎ、いろいろと卑猥なことを申し述べた〉 〈そして、訴外香川は、原告にキスし、服の中に手を入れ、原告の乳房を直になでまわしたり揉んだりして弄(もてあそ)んだ〉 「キスまでしていました」 その場に居合わせたほかのホステスにも話を聞いてみたところ、香川は来店当初それほど酔っておらず、陽気に盛り上げ役に徹していたという。 しかし、徐々に様子がおかしくなり、ホステスのドレスに手を突っ込んでわきを触り、匂いを嗅ぐなどの行為に及んだ。そして、極め付きが美麗さんをターゲットにしたセクハラだったという。 「彼女は明るく、酔ったお客さんをあしらうのが上手で、だから余計にいじられたのでしょう。間もなく香川さんは美麗さんのブラジャーを剥ぎ取り、その匂いを嗅ぎながら彼女をはやし立てました。 さらには美麗さんの胸元に手を突っ込んで、胸をもみはじめた。キスまでしていましたからね」 事実を質すべく所属事務所に何度も取材申請し、質問状を送り、事務所社長に直接申し入れたが、24日午前6時現在回答を得られていない。 本日発売の「週刊新潮」では、香川によるセクハラ行為の全容について詳報する。 「週刊新潮」2022年9月1日号 掲載 この世界は人間の意識の投影 「量子力学」。万物は、人間が意識したときに状態が確定する。この世は仮想現実。この世は幻。この世は全ては意識の投影。 「量子力学 現実」「量子力学 引き寄せ」などの情報が広まってきて、目にするようになってきました。 年々、量子力学からの「万物は、人間が意識したときに状態が確定する」は「思考が現実なる」の理論が証明されてきました。 現実は思考から創られる、すべては内面で起こっている」(バシャール、津留晃一、苫米地英人、デイビッド・アイク) の内容と一致しています 素粒子は人間が見たときに「物質」として確定する 素粒子で作られている万物は、人間の観測、つまり人間の「意識」が注がれたときに物質化するということ。 逆に、人間の意識が介していないときは、万物は波動であり非物質なのです。 つまり「人間こそが万物に影響を与えている創造主」であり「人間があって万物がある」という新常識を、量子力学は証明したのです。 これは「あなたの意識」が、目の前に起こる現象を決定(確定)しているということ。 つまり、良い意識をすれば、良い現象が物質化される。悪い意識をすれば、悪い現象が物質化される。 意識なくして存在するものは、この世にはないということです。 あなたが見ている「この世」も全ては幻想である この世の正体は、上の波紋のような「エネルギーとエネルギーの干渉」があるだけです。 人間を含め、万物は「素粒子の塊」に過ぎず、この世は素粒子が放つエネルギーが干渉し合って作る「無限の波紋」が、無味乾燥に広がっているだけなのです。 ところが、人間は素粒子の波紋に反射した光を「目」に取り込み、取り込んだ光を電気信号に変換し、脳が「勝手なイメージ」を作ってしまいます。 つまり、私たちが見ているのは、脳の解釈にすぎない「幻想のこの世」であり、エネルギーの干渉しか存在しない「本当のこの世」を見ることができません。 あなたが見た「美女」も、脳が勝手に作ったイメージです。本来そこにあるのは、素粒子同士のエネルギーの干渉(波紋のようなもの)しかありません 視覚だけでなく、感触、臭い、味、音、痛み、快感・・・これらの五感も、脳が作った「バーチャルリアリティ」です。 つまり、この世は「お化け屋敷」と同じアトラクションだということ。 ただ、あまりにも脳が私たちにリアリティを感じさせてしまうため、幻想だと気づかないだけです。 映画もスクリーンに反射した光に過ぎません。 しかし、その光を目から取り入れ、脳がイメージを作ってしまうため、リアリティを感じて驚いたり感動したりするのです。 --------------------- ①万物は、人間が観測(意識)したときに状態が確定する(観測問題) ②万物は、無限の可能性をパラレルに持ち、人間の意識で1つに確定する(量子重ね合わせ) つまり、あなたの意識によって現実はいくらでも変わるということ。運命やカルマは存在せず、あなた自身が創造主として、思い通りの現実を作る力を持っている。 これが量子力学から読み取れる真理です。 量子力学。「この世は100%、人間の意志で作られている」「平行宇宙と関係している可能性がある」 In Deep さんの記事に、量子力学のことが書いてありましたので、ご紹介致します。 ---------------------------------- 「繰り返し行われる量子力学実験により「この世に客観的な現実は存在しない」ことがさらに明確になり、そして「この世は人間の主観で成り立っている」ことが否定できない状況に」 オーストラリアの大学の物理学者たちが、量子力学の実験により「現実というものは、人間により観測されるまでは存在しない」ことを示したことをご紹介したものでした。 ・《特報》「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認 In Deep 2015年06月06日 この時の私は、「やだ、何それ? チョー驚く」みたいなギャル的な感嘆を示していただけでしたが、そのうち、問題の本質は、「この世に客観的な現実は存在しない」という「ほうではない」ということに気づいてくることになりました。 では、問題の本質は何かというと、「この世の現実を創り出しているのは人間という観測存在だった」というほうなのですね。 量子力学が示すふたつの事実 ・客観的な現実というものは、人間が観測するまでは存在しない ・この世を構成する粒子は「人間の意志で変化する」 このふたつが示すことは、「この世は100%、人間の意志で作られている」ということです。 現実には「なーんにもない」のです。 この世には何も存在しない。 さきほどの「量子」にしても、そういう最小単位の物質が、どのようにして生まれるかご存じでしょうか。 「何もないところから生まれている」のです 無 - Wikipedia より 古典物理学において、物理的に何も無い空間を真空と呼び、真空は完全な無であると考えられてきたが、現代物理学においては、真空のゆらぎによって、何も無いはずの真空から電子と陽電子のペアが、突然出現することが認められている。 このことによって、現代物理学では完全な無(絶対無)というものは物理的に存在しないとされている。 そして、「何にもないところから出現した量子」は、「人間の意志で動く」ということになり、そのようにして、この世は存在しているようなんです。 いや、「存在していない」のです。「意志だけが漂って」いる。 「シュレーディンガーの猫」という思考実験の名前が出てきますが、これは難しく言い出すとキリがないものですが、 「箱の中の猫が生きているか死んでいるかは、観測者が箱をあけるまではわからない」 ということで、これは「生きているか死んでいるわからない」という意味ではなく、箱を開けるまでは「どちらの現実も同居している」というような意味かと思います。人間が観測した瞬間に、「どちらか」になる。 実験が行われるまで、科学者たちは、量子力学によって 2人の観測者が、それぞれ異なる「矛盾する現実」を体験できるという見識について長い間疑ってきたが、実験の結果は、「客観的な現実は存在しない」ことを示した。 科学誌サイエンス・アドバンシズ(Science Advances)で最近公開された研究では、量子力学の奇妙な規則によって支配されている原子と粒子のミクロの世界で、2人の異なる観測者のそれぞれが「自分だけの現実の権利」を持っていることが示された。 記事の中で最初に取り上げられる物理学者で、つい最近この「現実は存在しない」ことについての論文を発表したグリフィス大学のジョーン・ヴァカロ教授という方は、女性科学者です。 ジョーン・ヴァカロ教授 ・Joan Vaccaro - Quantum theory of time ヴァカロ教授は、「ひとりひとりが、その人だけの現実を持っている」としていて、そして、その現実は、観測により変化していくとしています。 おそらく、「瞬間、瞬間で、私たちの現実は宇宙ごと変化している」可能性があります。 こんにちは こんなアカデミックなスレがフイタにあったとは ちんぽろりんの家はテレビないんか そういえばあまり気にしてなかったけど俺もテレビは持ってない 実家にはあるけどね 家の固定電話に続いてテレビも一家に一台という時代ではなくなって来てるのかな >>159 ラーメンはジャンクフード 名言だと思う 俺もラーメンは好物だけど、日常的に食べない方が良いとは思う >>163 俺も最近気付いたんだけど、呼吸を整えるのはマジで効果あるね 体調が凄い不調になったときに呼吸が乱れる、小刻みで不安定な呼吸になったりとか そんなときに、あえて深呼吸したり意識して安定した呼吸をすると体調も回復するんだよ不思議なもんで 俺だけかもしれないけど >>174 まんま同意 高級なもの=体に良い ではないからね >>207 同意 俺はカントリー聴いて癒やされてる 生の楽器はいいね >>213 これも本当に酷い話だった 少額の罰金だけで済まされたのも胸糞悪い 体や食に関することは共感するものばかり いちいちレスしてるとウザいだろうからこれ以上は控えるけど >>242 実家が東京でいま地方に住んでる俺にも興味深い話になってきた けど一旦休憩 >>496 セレガさん初めまして わざわざ読んで頂きありがとうございます 共感出来ないなら批判してもらって結構ですよw 批判してもらってて 全部他人のブログの転載だけどね タゴール:この世界は人間の世界です。世界についての科学理論も、所詮は科学者の観方にすぎません。 アインシュタイン:しかし真理は人間と無関係に存在するものではないでしょうか?例えば、私が見ていなくても月は確かにあるのです。 タゴール:それはその通りです。しかし月は、あなたの意識になくても、他人の意識にはあるのです。人間の意識の中にしか月は存在しない事に変わりません。 アインシュタイン:私は人間を越えた客観性が存在すると信じています。ピタゴラスの定理は、人間の存在とは関係なく存在する真実です。 タゴール:しかし科学は月も無数の原子が描く現象であることを証明したではありませんか。あの天体に光と闇の神秘をみるのか、それとも無数の原子をみるのか。もし人間の意識が月だと感じなくなれば、それは月ではなくなるのです。 皆様はこの対話を聞いてどうお感じでしょうか。 アインシュタインの願いもむなしく2019年になって少なくともミクロのレベルでは「客観的な実在」を否定するような実験結果が発表されました。 その実験の基になったのが1961年のノーベル物理学賞受賞者ユージン・ウィグナーによる「ウィグナーの友人」という思考実験です。 ウィグナーは「私たちのどう見るか(認識するか)の意識こそが、世界を変える」と述べています。 >>510 マリアさん初めまして まだ途中までしか読んでないけど、スポーツや歴史のことは分からないけど共感することが多いですよ マリアさんはつるかめクリニックのお医者さんか看護師さんなんですか? ユージン・ウィグナーが統一教会のシンパだったのは有名 この世界の本質は波動(エネルギー)の世界で 常に不確定 人間の意識が介入すると状態が確定する 相手の承諾なしで勝手にコピペしてんのか?て聞いてるんだけど >>257 人はなぜブランドにこだわるのだろう 面白いテーマ >>260 金持ちが金を持っても心が満たされない話 上には上がいるのでいつもその人たちと自分を比べてしまいキリがないからと聞いたことがある お金無くても満足できる人は、最初からその時点で満足なのだと >>264 自分探しはすでにある自分を否定するのと 良いこと言うなあ マリアのスタンスが今頃になって分かった まず引用元のURLをここに貼ってから、その中身の一部を紹介してるわけね >>275 紅葉はまさに今が旬 単なる通勤や買い物も楽しくさせてくれる >>280 京都ではないけど、それとなくデザートを出されて、長居しすぎちゃったかなと思ったことはある >>302 地方もいいところたくさんあるんだけど、でもやはり若者は都会に出ていってしまうね そして過疎化していくんだけど、不動産が買うのも借りるのも都会に比べて桁違いに安いのは良いかな >>342 洗濯機、掃除機、冷蔵庫、電話、テレビなどが発明されて一般家庭に普及され始めた頃が、生活スタイルも激変しだして一番エキサイティングな時代だったんだろうなと想像する 今の電化製品は機能も普及も十分行き渡っていて、あってもなくてもどうでもいいような付加機能で差別化を図ろうとしてる感じで新製品にあまり魅力を感じない >>349 たしかに、今はスターっていない気がする AKBとか乃木坂とかジャニーズとか人気のグループとかはいるけど、 スターはいない気がする >>350 分かるとつまらなくなる まだ地球が丸いかどうかもよく分からなかった頃、コロンブスが新大陸発見とかしてた時代はさぞかしロマンに溢れていたんじゃないかと思う >>353 子供の頃、あんなにワクワクして食べた駄菓子なのに、大人になるとまったく魅力を感じなくなってしまった これ原料は何?着色料すげーなとか余計なことばかり気になってしまうし それを乗り越えて食うとノスタルジーでたまらなくなるぞ >>535 それもいいね 今日も休みだから、酒のツマミにできそうな駄菓子を買ってきてノスタルジーに浸ってみる日にしてみようかな たしかドンキに売ってた気がする よっちゃんイカみたいなんはツマミに合いそう ヤングドーナツを大人になってから気の迷いで食ったら カッサカサでマズくて思いっきりノスタルジーで それ以来クセになってキャンプ行く時の買い出しで最後にカゴに入れてしまうw >>538 カッサカサでマズくても、ノスタルジーが上回って買ってしまうんだね 味って、そういう思い出なども詰まった上での味なんだろうね そうえばサクマ式ドロップスが生産終了するらしいね 普段買ってたわけではないけど、なんだか寂しい まだサクマドロップスがあるぞ 佐久間製菓(サクマ式ドロップス)が廃業でサクマ製菓(サクマドロップス)は存続中 子供のころ食ってたのはサクマ製菓の方だったがな 不人気のハッカ味が好きだったw >>493 物理の話なんだろうけど、哲学の話みたい やっと追いついた! 面白かった >>540 別会社で存続するものがあるんだね ハッカね! ハッカの良さが分かるようになると少し大人になった気がした少年時代w 金や物に囚われ 自分に執着する そして周りとの繋がりや愛に感謝しなくなる 必要なものは既に自然界から与えられている それ以上のものは人間の欲 結局人間て幾ら贅沢しようとしても食べられる量もお金を使える量も限られている 幾ら家を持ってても住める家は1軒だけ 必要最低限の暮らしで生きるべき 金や物に心を囚われてると中身が無い空虚で幻想的な世界になる 必要なものは既に足りてる 自分は常に少欲知足で生きていきたい 今あるもの今ある現状に感謝してそれ以上のものは欲しがらない 金や物は必要なものだけど膨らみ過ぎると必要過多で必要過剰なものになる 得られると一時の満足感や幸福感は得られるかもしれないけど ずっと続くわけじゃない 消費したり得たりすると途端に空虚な気持ちになったり飽きたりする それより(金や物より)も遥かに大事なのは 家族や他者との繋がり 愛や思いやり そういう目に見えないものに感謝出来た時 既に自分には沢山の幸せがあることに気付けるし 既に自分は満ち足りてることに気付ける 減少する年収、不安定な生活に不安を感じるビジネスマンが増えていることと思います。わたしたちは、なぜ、こんなに、お金が少なくなることに心を惑わされてしまうのでしょうか。 お金の価値と働きがい、仕事のやりがいについて、どんなふうに考えたらよいのでしょうか。お金の価値を感じるのも、仕事のやりがいを感じるのも、「心=ココロ」です。 心という存在は、「ココロ、コロコロ」のように実体のないもので、科学的に「心とはこれである」と解明されているものではありません。 「勝った・負けた」「得した・損した」といって一喜一憂するのも心、そのあらわれ方は百人百様です。 同じような環境にあっても満ち足りた気分になる人もいれば、おおいに不満を覚える人もいます。お城のような邸宅で暮らし、毎日ご馳走三昧でも幸福感がやってこない人もいれば、極貧生活の中にも楽しみを見出し、 麦飯と味噌汁だけの質素な食事をしみじみ味わえる人もいます。 そう考えると、豊かな不満社会に生きる現代の日本人は、環境にかかわらず概して不満傾向にあるといえるのではないでしょうか それでは、職場でも家庭でも、移ろいゆくさまざまな場面で、環境やモノに左右されず、豊かな心を保ち、充実した生をまっとうするためには、わたしたちはどのように考え、日々を送っていけばよいのでしょうか。 それなりにいい家に住み、いい車に乗り、いい服を着てブランド品をたくさん持っていても、不満は不満、そして不安は不安。 心がそう感じる理由を解き明かしていく前に、ぜひとも耳を傾けていただきたい言葉があります。 「道は貧道より尊きはなし」 これは江戸中期の禅の中興の祖・白隠禅師の言葉で、意味は「たとえどんなに貧しくても、その日暮らしであろうとも、心だけは王侯貴族のような気持ちでありたい」。 つまり、物質的な貧しさと心の貧しさは共にあるわけではなく、たとえお金が十分になくても、心のあり方一つで働きがいを得られ豊かになれるということです。 「道は貧道より」の言葉から思い浮かぶのが、私も尊敬する偉人の一人、あの良寛さんです。 「100石(俵)6人泣き暮らし」は武士の貧乏暮らしをあらわす言葉で100石の禄から藩に納める分を差し引けば、残りはわずか。家族と使用人がぎりぎり暮らせる程度しか手元に残らなかったそうです。 しかし町人や商人のほうが経済的な余裕があったにもかかわらず、武士たちはプライドと高い精神性を保っていました。 藤沢周平原作の映画『たそがれ清兵衛』にも、こうした幕末の下級武士の世界が描かれています。 主人公の清兵衛は、家族を支えるために城中の仕事が終われば“たそがれどき”にさっさと帰宅し、夜は虫かご作りの内職に励み、庭に畑を作って野菜を育て、 いつもほころびた着物を着ていました。ただし、心は決して貧しくありません。 畑の野菜や草花が日々育っていくのを見ては楽しみ、娘が成長していくのを楽しみ、貧しいながらも日々の生活を楽しんでいました お金やモノに流されずいつも清々しく豊かな心を持ち続けるということは、できそうでなかなかできないことです。なぜなら、わたしたち人間は「二元論的思考」をする生き物だからです。 二元論とはモノと心、善と悪、金持ちと貧乏、好きと嫌い、失敗と成功、エリートと落ちこぼれ、勝ち組と負け組というように対立する概念で物事を捉えることで、白と黒の間のグレーゾーンはありません。 この二元論的思考が根底にあると、私たちは凝り固まった小さなモノサシや自分の価値観に振り回されることになります。 「富と貧」「勝ちと負け」を区別して比べる心です。両者を対極において見るために「勝ち」になれない自分が苦しくなってしまうのです。 元来、禅の世界では二元対立を嫌い、排していきます。そして絶対の主体性を目指します。 ここで強調しておきたいのは、皆さんがとらわれている考え方、判断の仕方などは、実はすべてあなたの周りが勝手に創り上げた既成概念、いわば「雲」のようなものにすぎないということです。 この既成概念による小さなモノサシを破壊しないかぎり、心の改革はなされません。 「モノ」や「お金」の量にかかわらず「なんだか満たされない」のは、物質社会がつくり上げた既成概念に縛られすぎているために、 本来得ている働きがいや生きがいに気づけなくなっているからです メッシ シャビ イニエスタ ブスケツが織りなすアメーバのような三角形 後世に語り継がれるべき ウクライナ戦争とかコロナとか暗い話が多い中で、こういうスポーツで世界中が平和的に夢中になれるって素晴らしいことだと思うんだけど、 オリンピックも今回のワールドカップも闇の部分が大きいのがちょっとね 6000人くらい亡くなったらしいし read.cgi ver 08.1h [pink] - 2023/09/20 Walang Kapalit ★ | uplift ★ 5ちゃんねる