#ミソジニーとマンスプレイニング
ここのところ、ミソジニーとマンスプレイニングについて考えざるを得ないだろうなと思うところが増えている。元・安芸高田市長をやったあいつが都知事選で2位になれたというのもびっくりしたけれど、あとから女性に対して高圧的な態度を取るのだなと。
しかもその態度を取られたのがラジオの我が推しである。 昨日なんかテレ朝のなんかでそいつが出たけど、インタビュアーが推しの先輩メンバーでそれもなんだか複雑なもんである。
どんなふうに思って聴いたんだろうね。テロップもテロップだし。
3位になった中性候補者への風当たりが強くて、まるでメディアが犬笛を吹いて攻撃せいと言わんばかりのものである。あまりにもひどい。ミソジニーとマンスプレイニングだけではなくて、叩けるときに叩いておこうというその感覚が不思議でならない。
社会を良くしようというあたりまえの言葉さえこうして袋叩きにされるのか。そりゃ一生良くなるはずもない。
自分にもミソジニーを自覚するときがある。マンスプレイニングだろうなということもあるかもしれない。
中性がこうしてさらされることについてはものすごく考えるし、その反面トランスヘイターのような人間がいることを思うとその面については正直くたばれと思う気持ちがある。
すごく難しいよね。だから一方的に反応するのではなく、少し立ち止まってから考えるべきことは多くある。