2024.8.31. #障害とともに生きること

今日明日と24時間テレビがあるけれど、ここ数年は観ることもなくなったな。
そもそもテレビよりもラジオを聴くほうが圧倒的に楽しくなってしまったので、テレビ自体観なくなってしまったというのもあるのだけど(両方で活躍されている方々には申し訳ないのだけど)。
障害、という意味では2004年10月にHIV+が分かって身体2級の手帳はあるし、本来なら産まれて間もないときに分かっていたはずの 「特定不能の広汎性発達障害」。
自分は自閉症スペクトラムとADHDである。
ことあるごとに説明をしなければならないのが相変わらず 苦であるし、定型の人たちに囲まれていて何かあったときによく言われているものが、思いがけず出てくることがあって(人に言われないとわからないことがある)、苦労することが多い。
今もそうだ。いろいろな人と関わりがあると、同居先も含めてなお困ってしまう。
だからもうしかたないので、障害とは「付き合う」ものにしている。
確かにどうしてこんな状態で産まれて育てられてしまったのか、あのときすぐに対応してくれていたら今の生活が望まれなくてもどこかに活路はあったんじゃないかとか考える。
パラリンピックとか観てしまうと、感化され 誰かが障害を「乗り越える」とか言ってくるけれど、それはどうにもならないものに対して向き合う人たちを踏みつけるのではないか。
だから そう言われると自分は生きていたくない気持ちになる。努力は要でも限界がある。こんな日だからこそ分かってもらいたい。