2024.11.21、#平穏はどこにある

自分は以前よりあらゆることを公言している。それはゲイであること、HIV+であること、自閉症スペクトラムが主の発達障害であることと、自分が生きるうえで全部でなくてもいいからそういう人間であることは知っておいてもらってほしいという気持ちがある。
だけどこうして公言していることで意図しないことも起きた。たとえば今の仕事についても、HIVなんて傷口からうつるわけでもないのに、
仕事で傷をつけられることもあると書いて出していたら仕事場にイチャモンのメールなのか、そいつを外せ、HIVがうつるみたいなことを言われたことがある。
イメージだけで語られるというのもなんだか心外なようにも思えるし、それを主治医に話したら、大いに呆れていた。化石のような奴だと。
それに今でも不思議なのは、ゲイだと言っている自分が何か 政治的なこと、たとえばLGBTQ+の諸問題や同性婚に関わることなんか主張すると、活動家と揶豚されることだ。
なんだかバカだなあと思って今でも見てしまう。
自分が望んで公言するのはまだ良い。
だけど心ないことで追い込まれてせざるを得ないというのもなんだかつらい話だよな。
昨日、李琴峰さんのnoteを読んだけれど、端的に言っても本当にひどい話である。
これは自分にもどこかで起こりうる話かもしれない、平穏ってどこにあるんだろうな。

※「李琴峰さんのnote」はこれを指していると思われるがnote事務局により公開停止
李琴峰「トランスジェンダー追悼の日」アウティングされ声明
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