あらゆる犯罪やヘイト、嫌がらせ(ネトウヨやトランスヘイターレイシストによるもの)がダメであることは大前提として書くけれども、人間なのだから、道を外れたり過ちを犯すこともある。
著名なゆえにダメではなくともプライベートが出てしまうこともある。
そういうことがあると、一億総コメンテーターとして躍起になってしまうときがあり、そういう人たちは想像力が豊かだから、あらゆる偏見や常識人ぶって叩くこともいとわないし、中にはこうであってほしいような理想を押しつける。
結局矢面に立っている人もあらゆる属性も他人のことなどもどうでもいいのである。
自らの「こうであってほしい」が先立つのだから。
誰もがそのたったひとつが大きなことだと抱え込むこともあるし、傷になることもある。
それなのに傷口に塩を塗るようなことを平気にするような自称「ふつう」の人間が吐き出す言葉のほうが本当に怖いのである。
自分もどこかに晒されていて、ネットでは有名な人だと揶揄されてイヤな思いをしている。自分に非があるにしても、好き勝手に語られるのは本当にイヤである。
ネットde真実の人間や憶測をさも真実のように語る人間、属性を透視できるような人間に何が分かるというのか。
そういう人間が見る世界というのは、陰謀に塗れていて、自分が虐げられているようにしか見えないのだろうな。さぞ虚しい人生である。