行きつけである銭湯のサウナは有料である。その証にリストバンドを貸してもらえるのだが、一昨日行ったときにつけていない人が入っていた。
自分だけが不思議に思って、ほかに入っている人たちは気にも留めない。
かくいう自分もその人に言ったところで何をされるか分からない不安もあって何もできない。今までもこういうことはあった。だけど何もできなかった。意図的に手首を隠していたり、何の気せずに入っていたりした。
お店側にとったらその分損であるのに考えることもしないのだろうか。
自分が住んでいる地域の資源ごみの日が今日で、自分もペッ トボトルやダンボールを捨ててきた。
そのときに街ではときどき見かける、アルミ缶を集める人が通りがかる。
自分はコンビニに行くのに通ったが、その人が集めているアルミ缶の台車を置き、捨ててあったアルミ缶を持ち去っていた。
実際このようなことは何度か見たことはある。資源持ち去りはいけないことではあるし、窃盗になりうる。
だけど集めている人もそれらを業者に渡してお金にするのかもしれない。生活のためとはいえ、なんだかもどかしい気持ちになる。
ささいなことかもしれない、だけど揺らぐなあと複雑になる。
ちょろまかしたい心も、生活のために集めるという行為も、たとえ分かると思いたくても、どこかで容認しきれない気持ちになる。生活と社会はつながっている。そのことについても考えたい。