30年前のことだが「特進コースにいたから東洋大や亜細亜大に行ける学力はあった」と振り返る青木亮氏。
そんな彼が辿った道といえば新聞奨学生で入った専門学校を途中でやめて気分転換にと西へのハッテン旅行を断行したのち実家に戻る。
棚倉ではコンビニバイトをしていた。過去ログによるとエステティック・サロンにハマるなどして自己破産したという。官報に載ったとの情報もあるが証拠は出ていない。
棚倉の生活に嫌気がさして再度の上京のため寮付きの就職先を見つけて入ることに成功。就職先はソンシコーポレーション(宝石販売のジェムケリー)であった。
営業に配属されたそうだが無能のため別の部署に移動になる。そののち退職。
ネットカフェや知人の家を転々としながら派遣ワークのグッドウィルグループに登録。時々仕事しつつも棚倉を脅しまとまったお金を得ると神奈川でゼロゼロ物件を契約。
このころ横浜ベイスターズ観戦やハッテン集会にハマり家賃滞納をするようになる。HIV感染の発覚を契機に派遣もしなくなり金に困ると棚倉に泣きついていたが母親からこれ以上は無理だと言われ逆ギレ。
なぜか怒りの矛先は役所に向かい生活保護を受給する流れに。練馬区に転居。