仕事のために最寄り駅に着くと、政党が朝の述立ちをしている。
様々な政党があれど、自分が見ている限り、それらの政党を支持していない。
近所のコンビニに行く道すがらには無節操に政党ポスターが貼られている。
うーんと思いながらも、「手取りを増やす(民民)」みたいなコピーに惹かれる人もいるんだろうなと思いながら見ているけれど、そう安易には釣られないようにしないといけない。
歴史や史実を自らの都合のいいように書き換えようとする政治家のいる政党というのは正直論外であるのは当然である。
自分は歴史が大のつくほど苦手だけれど、「あったことをなかったことにはできない」のだから、「日本は悪くない」と言いたいがために愛国を持ち出すのってどうなんだろう。
SNSを見てカルトな党首の演説にコロっとやられる人たちがいるんだろうと思うと、都合の良いほうに動く人たちが多いのも頷ける。歴史なんてどうでもいいや。自虐史観だと曰うしな。
それにしても、日本で生きるすべての人たちにやさしくない社会に生きているのに、そこまでして日本人ファーストというような差別の言葉を吐き出せるメンタルには反吐が出そうだ。
みんなが困っているのなら、それらを良い方向に持っていくにはどうすればいいのかを考えるべきなのに、この国のマジョリティはどうしても愛国を盾にして分断を図りたいようだ。
カルトにはまると
歴史すら
直視できずに
妄信する
薄っぺら
5/14 2025
あったことをなかったことにできない なのに あったことをなかったことにしたい そんな風潮をまのあたりにしている
歴史や史実があっても 誰かの言う言葉のほうが信じられる この国の愛国と呼ばれるものは やけに軽く扱われるようだ
自分は歴史が大の苦手だ だけど 「あったことをなかったことにはできない」 そんなはずなのに 歴史というものはひどい扱いを受ける
悪いことのすべてを 何もなかったことにして 良いことしか並べ立てられないことほど 信用のなさは露呈する
カルトの言葉は重いようで軽い 軽いからこそ人の心に侵入しやすい 侵入して信じ込むまでに 時間はそうそうかからない
誰もが見られているよ そしてその恥ずかしさを思い知るのは いったいいつになるのだろう 今を見ているとすべてが危うく思う