2025.7.27. #わたしは差別に抗う

自分の中に差別心がないのかと聞かれたら、それは嘘である。
だけどネトウヨや排外主義を標榜する政治家や支持者よりはまだまともであるとは言える。
自分の中にあるものといえば、たとえば資源回収の日に持ち去りが平然とあることについて、どうしても盗んでまでもという気持ちが分からない。
街の特徴だからなのか、大きな袋を複数ともにして持ち歩いている人たちが少なくない。
だけど自治体如何では法令で罰せられる。海外の例は分からないけれど、「持っていっていいですよ」 と譲るようなところはあるのだろうか。これが自分の中にあるものだ。
たとえば日本で福祉に頼るようなことがあるとする。今でも生活保護へのバッシングが出てくる。外国人は受給しやすいなどデマや憶測をおっ立てて煽る。
けれど日本の国民性なのか、「保護は苦しくても受けたくない」という人間が少なくない。そして桐生市のようなことだってある。
与党の国会議員が差別や非難を煽るし、関係のない外国人までバッシングする。
自分個人としては、自らの属性であるゲイであることや、発達障害であることもいらないとか言われたり、利権だとか言われたりしたわけだけど、こうして自国に役立たないような存在を切り捨てるようなぞんざいなことをやろうとしている政治家が現にいるわけである。
こうなれば本当に人間としての尊厳としての問題になる。
やり口が過去に映画で観たような雰囲気を思い出させる。麻生のボンボンが言ったことだな。
こうして差別に抗う人たちを反日だ左翼だ非国民だと言うのなら、そう言い続けていればいいと思う。
だけどそのような攻撃というものはいずれ差別を言い続けたてめえに戻ってくる。
出した言葉は飲み込めない。それでも差別をしたいならどうぞとしか言うほかない。
こちらは徹底的に抗うだけだ。だからわたしは差別に抗う。