20251204の記録
ときどき自分に障害がなくまっさらな人間だったらと野暮ったいことを思う。読んでいる本に肩書の欲しさを思うことが書いてあり、自分も何かになりたいんだなと欲深く罪深いことを考えている。

2025.12.4. #風当たりの強さを思う

自分の障害がなかったら、何も苦労することなく生きられたのだろうか。まぁそれは無理な話だ。
もとから自分は生きづらかった。新聞の朝に届くメルマガに発達障害に関わる記事があったから、じっくりと読んでいたというだけなのだが、
障害がなきものとして今日(こんにち)まで(仮に診断が現にされていても)生きづらいことには変わりないし、社会的にどこか虐げられている気もする。
それなのにあらゆる配慮もそれなりにあることから、障害があること自体を冷ややかに思っている人間も少なくないことは、この世の空気を見ていればよく分かることだ。
ただでさえ当事者に負担させることも少なくないし、日本のような国は障害がある人たちに「おまえもがんばれよ」と言ってくるような 現実があることもここに当事者が記しておきたい。
障害の有無での生きづらさも、もとから生きづらさを抱えている人に目に見えるものや見えないものや行動如何から来るものが付随してあるということも覚えていないといけない。
そして社会が与えてくるイヤな生きづらさも考えていないといけない。
だけどそれらを自らより立場の弱い人たちに向けても意味がないことくらい知っておいてほしい。強い人間に汲みしても恩恵があるわけでもないのに、何を期待しているのか。
今の世の中は立場の弱い人たちや、生きやすくするための希望を求める人たちへの風当たりが強い。そんなことでいいのだろうか。