不慮の事故で亡くなられた人への攻撃をどうしてできるのか。
バックグラウンドを見て妬みや羨みが出てくるのは、どこかでは自分もそうだからあるとしても、誰かを傷つける行為を匿名でするようなことはしたくないものだ。
そんなもののためにスマホやSNSがあるわけではないのに。
2025.12.19. #慮る
自分にも人のことが妬ましいとか羨ましいとか思うし、ときにそんな言葉を口にしたり、言葉にあらわしたりする。
だけどそれらはあくまで自分が思うことであって、他者を貶めたり傷つけたりする意図は全くない。
なのにどうしてか、痛ましい事故の被害者を貶めて、自慢のために持ち出すことを平気で行える人間を見かける。
そんな人間には決してなりたくないけれど、 確かに自分がそういう境遇にないとか、SNSの流れで羨ましいものを見てしまえばどうして自分はとみすぼらしくなる。
ということはあるから、そういう面では自分も人間であるのだとは思う。
しかし貶めをしたところでなんにもならないことも分かっていなければいけないだろう。今はそういう気持ちを際限なく、ときに口を悪くしてあらわされることもままある。
そんな気持ちを持っても自分が損をするだけなのかもしれないから。
だけど死人に口なしの状態を分かりながら、人の気持ちを慮れない人間は本当に増えた。
SNSでそのような思い言葉を見たくないから、ことごとくミュートやブロックの機能は使っているけれど、否が応にも目には入ってしまう。
そんなものを見れば気が滅入ってしまう。SNSの発言についてある程度は自由であっても、他者への影響など何も考えられていないのだ。
言葉を使う人間ならば、せめて考えてから言えるような人間になってくれとは思う。何かを崇めたい気持ちは分かっても、何かを貶めたい気持ちは全く分からないから。