見つかりたいか、見つかりたくないのか、そしてそのまま引きこもっていたいか、自分にはジレンマがある。いい意味で見つからず、悪い意味で見つかってしまう自分はどこか憂鬱なままでいる。
2025.12.5. #見つかりたいか引き込もりたいか
伊藤要和さんのデビュー作を読み終え、2冊めに入っている。そこでも彼女は文章を書くことでお金を稼ぎたいと書かれている。
デビュー作に書かれている「パパと私」が多くの人に見つかって、こうして文章を書くことが仕事になっていることを思うと、そういったものにとうの昔にやさぐれてしまった自分は、今も含めて文章を書くこと自体どこかあきらめの境地に立っている。
イメージや妄想は出てくるにしても、どこかに「自分なんて」と思う自分がいる。
だけど自分は見つかりたかったかなと考えると、見つかりたくもないし、どこかで引きこもっていたい気持ちにもなっている。
自分が何かで見つかるということがあっても、それは悪いことでのつながりか、疚しいことへの裏返しにもなるのだろう。
良いことで見つかることなんてないままだ。それもそうだ。
細々としているし、noteとか アップしても反応は鈍い。そんなことばかりだから文章を打ち込むかたちでの更新はほとんど止めてしまった。
本音を言えば自分も稼ぎたい。ノウハウを見ようものならそれなりに負担もある。
読んで学んだところで実際にそうなるかなんて先を見なければ分からないし、どこかで自分を信じていなければいけないだろう。
それでも自分はどこかで何をしてもダメだとか、人のことばかりが気になって自分のしたいことができないままである。どこか自虐が込もるような気持ちだ。気にしないで書けるような自分がどこかにいてほしいものだが。