>>629
語尾を人格と定義するならそりゃ変わることになるわよ
でも例えばあたし、ここではオネエで話しているけど、普段の生活ではオネエ話さないわ
じゃあ、あたしはここにいる時だけ人格変わっているの?
そうと言える面もあるのかもしれないけど…

あたしが考え方や価値観と呼ぶものは、振る舞い方のような表面的なことではないわ
例えば同じ数学の問題を日本語と英語で出された時、解き方が変わったりするかしら?
例えば「日本は難民を受け入れるべきか」という問題を日本語と英語で聞かれた時、あなたの意見は変わるかしら?
あたしはそう思わないの
そういう意味において、言語が思考や価値観に影響するとは微塵も思ってないの

>>631
これはひとつの言語の習熟過程を示しているだけであって、言語が変わると人格が変わるかという話と無関係だわ
文化が変わると振る舞いは変わるけど、言語の本質的な機能、つまり記号で意味を表すという部分は、文化とは独立に存在しているわ
上にあげたように何かの問題について考える時、あたしたちは言語を用いるけれど、その際に文化は影響しないわ
出した答えを誰かに伝える時の振る舞い方は、文化に応じて変わるかもしれないけどね

>>630みたいな人って、「英語を話すかっこいいアタシ」「日本語を話す可愛いアタシ」みたいな意識があると思うのよね
でも「あたし今XX語を話しているわ」って意識することがなくなるくらいまで習熟すると、そういう区別がなくなっていくと思うの
こういう違いを人格の違いというなら、人格が統合されていくってこと
それが習熟すればするほど違いがなくなるとあたしが言った意味よ

>>646
英語でも丁寧な言い方や敬意を込めた言い回しがあることはわかっているわ
でも日本語の敬語みたいに体系的なものはないじゃない
たとえば This is a pen という文は、これしか言い方がなくて、丁寧にも乱暴にもできないわw