【Do you】松任谷由実・302【love me】
>>301
懐かしいわねこれ
実際逗子が隔年になったのはこの人がディレクターになってからよね ポコポコポコポコブクブクブクドゴーーーーン
今でもずーっとずーっとずーっと
デルフィブクブクブクブクドゴーーーン
ずーっとずーっとずーっとドゴーーーン
デルフィブクブクブクブクドゴーーーン
デレリロデレリロデーテレッテン
デレリロデレリロデーテレッテン
デルフィデルフィずーっとずーっと 昨晩お会いしましょうあたりからアルバム発売時の紙媒体の取材とラジオプロモーションは凄かったわね。
アルバム出すごとに20くらいはあったんじゃない? >>301
ユーミンの原盤ディレクターをやるようになって初めて僕は歌詞の重要性ということを意識するようになった。
松任谷はそれだけ歌詞には拘りがあった。僕が得たもので一番大きかったのはこのことかもしれない。
僕と松任谷はある意味とてもよく似ていた。感覚とか好みとかそんな部分で。
大物アーティストの宿命なのか、ユーミンがスタジオに連れてくる女友達というのはいわゆる取り巻きの、金持ちの道楽娘(と言ってもオールドミスだ)ばかりで、ゲスト面してロビーのソファの真ん中にでんと座ったりするので僕はそれが気に入らなかった。
その点では松任谷と僕はまったく同じ意見で、松任谷もユーミンの友だちと称する連中を嫌っていた。で、電話がかかってきたのを切ってやったなどと僕に得意げに報告するのだった。
歳こそ違うもののそんな感じで共通点が多く、なんだか知らないけど僕はいつの間にかすっかり松任谷に信頼されるようになり、2枚目のアルバムからはボーカル録りやボーカルチャンネルのセレクトを任されるようになり、上司のアベに言わせるとそれはキララシャ始まって以来のことらしく、そんなの見たことがない、と言われた。
アルバムの曲順やシングルをどれにするかなどということも松任谷は僕に相談した。
そんなわけで皇室の誰かさんがお気に入りだという「Anniversary」がシングルのA面になったのは僕の意見だった(東芝のシモコウベさんはホームワークだった)。
そんなわけで僕は一年に2度、トータル2ヶ月ぐらいはロスで過ごした。
現地で使うミュージシャンはドラムのジョン・ロビンソン(JR)とかベースのエブラハム・ラボリエルとか、ホーンアレンジのジェリー・ヘイとか、当時世界で一番売れっ子のミュージシャンたちだった。僕は学生のころ、彼らの演奏するレコードを聴き漁っていたんだけれど、不思議なことに仕事となると何の違和感もなかった。
ドラムのJRが僕がその2ヶ月ぐらい前にアルバムを買ったシンガーのフレディ・ワシントンを連れてきたりしたし、僕がもっとも好きなアルバム、ジノ・ヴァネリの「Brother to brother」でパーカッションを叩いていたマイケル・フィッシャーとジノについてスタジオの廊下で世間話をしたりした。
サンセット・スタジオの隣ではマイケル・ジャクソンが「BAD」のレコーディングをしていた。僕の駐車場所はマイケルの隣だった。
なんていうか、一流の仕事をしていると一流の人間と仕事をするのが当たり前になる。それが普通になる。そういう意味では僕はミーハーではなかった。
僕が最初に担当したアルバム、「LOVE WARS」は前作の倍売れてミリオンセラーになった。
それで僕はオリコンのチャートの一番上に名前が載った。いろんな人にユーミン育ての親とか茶化された。
しかし、実際は冬のボーナスがひと月分多かっただけだった。いやはやまったく。たかが数人の会社なのに。
日本の音楽業界なんてそんなもんだ。スタッフは儲からないように出来てる。 >>318
ちょうど僕が原盤ディレクターになったころ、松任谷は音楽学校を作った。Mイカというその学校は当初、瀬田の交差点近くにあった。
最初にデビューしたのはショウジだ。
彼女は確かに才能はあったけれど、当時羽田のキヨスクでバイトしていて、非常に強いコンプレックスを持った、屈折した人間だった。もちろんショウジは松任谷がプロデュースして、当然僕もディレクターをやった。
ショウジはデビューしてもなかなか芽が出ず、ある日、二子玉川にある織田哲郎のスタジオでシングルのレコーディングをしていたとき、ホリグチとショウジが喧嘩を始めてしまい、スズキくんもふて腐れて寝てしまい、僕が一人で朝までレコーディングした、なんて感じだった。
とうとうショウジは松任谷のプロデュースじゃ嫌だ、と言いはじめ、僕とスズキくんの2人で青山のスパイラルカフェで説得したこともある。ショウジは当時サザンのアレンジを手がけていた小林武史とやりたがっていた。
奇しくも小林は僕と同じ山形の出身でしかも僕と同い年だった。
結局ショウジの2枚目のアルバムはユーミンと同時進行でLAでレコーディングした。アレンジとプロデュースはジェリー・ヘイに任せた。もちろんアルバム全体のプロデュースは松任谷である。
ショウジはその後TBSのドラマの主題歌でようやく15万枚のスマッシュヒットを出したが、結局ヒット曲と呼べるのはそれだけだった。
ショウジの次にデビューしたのはクマガイだった。
僕は彼女の作曲の才能は認めてはいたものの、アーティストとしては懐疑的だった。クマガイは詞が書けなかったし、声も素直すぎて特徴がなかった。作曲の才能はいいものがあったが、難しいことをやっているわりには単調に聴こえる、という難点があった。
クマガイに関しては松任谷が頑迷にデビューさせるべきだ、と言い張って、東芝からデビューすることになった。
また松任谷プロデュース、僕がディレクターというプロジェクト。
クマガイのファーストアルバムを作るに当たって、松任谷はひとつの冒険を試みた。クマガイは歌詞が書けないのでMイカの作詞コースの比較的優秀な生徒を集め、講師であったタグチ(当時もっとも売れっ子の作詞家だった)をアドバイザーとして数人のプロジェクトとして歌詞を書く、という試みだった。
僕はこの試みに非常に強い違和感を覚えた。
生徒がひとつの楽曲に対して歌詞を持ち寄り、その中で誰かのいいパラフレーズを見つけるとそれを土台にまたみんなで書く、ということの繰り返しで歌詞を作っていった。最終的にOKを出すのはもちろん松任谷である。
こうして出来上がったデビューアルバムは僕の想像通りだった。
それぞれの歌詞は完璧である。しかし、アルバム全体を通して一人のアーティストが見えてこない。完璧な歌詞なのに聴いているものの心に届かない。これは作詞の過程を考えれば当然の結果だ。これは誰かの言葉ではない。技術的に作られた歌詞だ。それに、クマガイの歌い方は歌詞を歌うものではなかった。
もちろん売れなかった。僕はこの、Mイカプロジェクトと名前がついた歌詞を作るミーティングに参加するのが苦痛だった。
そのころのMイカは用賀の駅近くにビルを建てて移っていた。そこでミーティングに付き合うたびに僕のストレスは募っていた。
こんな作り方はつまらない、と僕は思った。従って僕は一切口を出さなかった。
その後、クマガイはやっぱりなんかのタイアップで1曲だけちょっと売れて、数年後に東芝の担当ディレクターと結婚した。 >>304
ジャネット結構ラジオで流してたわよ
ライブビデオ見て、マーク・フィッシャーがデザイン使い回したってボヤいてたし >>318
下河辺…ホームワークをA面ってセンス無いのね あたしちょーどと云うか、最近障子久美や熊谷幸子を聴いてたわ
なんで、このエピソード群になんだかぐっと来たの
あんな大仰(な感じに見える)障子久美がそんなだったとか、
それで熊谷幸子ってあの声以上に無機質に聴こえるのね〜とか ANNIVERSARYをシングルに推したのは松任谷さんだったハズ
裏話は面白いけれど、
ユーミン育ての親、って自慢したいだけね
マンタ、これ読んで激怒しないのかしら
レコード会社の制作って
レベッカのフレンズをB面、A面にガールズブラボーを激推して
メンバーから大反発喰らったらしいし
音楽好きじゃないのかしらね
ホームワークをA面って...ないわw
B面だってA面の感動が台無しなカップリング曲と言われたのに >>318
> 大物アーティストの宿命なのか、ユーミンがスタジオに連れてくる女友達というのはいわゆる取り巻きの、金持ちの道楽娘(と言ってもオールドミスだ)ばかりで、ゲスト面してロビーのソファの真ん中にでんと座ったりするので僕はそれが気に入らなかった。
> その点では松任谷と僕はまったく同じ意見で、松任谷もユーミンの友だちと称する連中を嫌っていた。で、電話がかかってきたのを切ってやったなどと僕に得意げに報告するのだった。
急に信憑性増すわねw >>311
確認したらLW、天ドア、ドンパ、WINGS OF LIGHTにディレクターとしてクレジットされてたわ。 違うわよ、まだAかBか考えてる頃は由実が詞を書いてないの
アレンジもまだのプリプロの段階よ、シングル6月だから4月とかでしょ あんなキモい歌になることは決まってないのよ
こんな馬骨の妄想文章で下河辺さんを悪く言わないでほしいわ!何年由実やってくれたと思ってんのよ!! それに障子さんも熊谷さんもあれが個性じゃない、あたし大好きよ今も
ホント嫌な文章だわ
もう気分直しにポコポコポコポコ聴くわ >>325
いったい何を確認したのよw チャクラ? ジャーニーのリハで流れてるDelphine、CD音源っぽいんだけど声が由実じゃない
あれは何? >>329
通常運転よ
きっとチャリティースィングルもDVDも15枚くらい買ってくれてる太客 >>319
マイカプロジェクトってそういうことだったのね
今更答え合わせだわ やっぱりユーミンはジャネットのリズムネイション好きだったのね。ミスブロ、この恋に振り向いてとかアレンジがジャネット風味なのよ。 いまだに正隆のこと呟いてんのね
夢にもしょっちゅう出てくるみたいだしすごい執着だわ
それともあの頃の自分に執着してんのかしら マンタと揉めて決裂して、後になって後悔してるんでしょ。長いものに巻かれとくべきだったって。 太客ってのは100枚くらい買うのを言うのよ
15枚ってスィングルなら一万五千円でしょ?
マッサージ1回分くらいじゃないの、どこが太いのよw ANNIVERSARYのタイトルなんだけどうろ覚えだけど
ANNで「ありふれた朝に」にしようかどうしようかと言ってたような記憶があるわ。 >>319
ショウジ=障子久美か。
クマガイ=熊谷幸子、ブスだから初期のマッキーみたく顔はっきり見せないジャケットばかりだったわね。
しまいには罰ゲームのように全身?銀粉まみれにされてたわ。いくらなんでもあれはヒドい。 熊谷幸子はドラマ「私の運命」のサウンドトラックが良いのよね
作曲センスが光ってるわ まぁ、どちらもパッとしない感じだったよね。
少なくとも表舞台に出る方でなくて
ソングライターって感じだったのよね 熊谷といえば、カトマンドゥの
ツアーでオープニングのモンゴルのお経みたいなの作ったよな 夏子の酒の歌よかったやん
あれはアルバムもすごく良かった
デュエットの曲好きやった
次のアルバムも良かったよ、パジャマの
冬の花火みたいな曲なかったっけ?切ないんよ アヘアヘアー〜みたいなのよね。
あってもなくてもwww うまくいけば菅野よう子みたいになるのかしらと思ってたわ熊谷幸子 >>301
あんなスケジュールでやってたら当然のように声だって出なくなるわよね
>曲に関して松任谷はあまり口を挟まない。松任谷が拘るのはむしろ詞のほう。
これは意外だったわ
毎回アルバム作るのに3億円前後持ち出しで浪費してるって私は当時自称業界人から聞いたわ
それでも自分たちで出してるからその分利益も莫大なんですって >>347
>毎回アルバム作るのに3億円前後持ち出しで浪費してるって私は当時自称業界人から聞いたわ
>それでも自分たちで出してるからその分利益も莫大なんですって
自称業界人ってw 信憑性あるのかわからないけどw
でもまあ…
当時のつまりアルバムが年間でミリオン売れてた頃の話なのかしら?
今のCD売れない状況からしたら
そんな時代もあったのねぇ…
って
もう遠い記憶になりつつあるわ 近年国内で、年間にミリオン以上CDが売れたのって、アイドルか、安室奈美恵くらいなんでしょ
あ、あと米津玄師がいたかしら 由実は、令和以降、ここ5〜6年間のCDセールスが、合計しても70万枚?位らしいわね
1年間でミリオンなんてもう夢みたいな話ね 歴代オリジナルアルバム売上げランキング
*1位 765万 First Love 宇多田ヒカル
*2位 447万 Distance 宇多田ヒカル
*3位 429万 globe globe
*4位 360万 DEEP RIVER 宇多田ヒカル
*5位 353万 delicious way 倉木麻衣
*6位 352万 Time to Destination Every Little Thing
*7位 343万 Atomic Heart Mr.Children
*8位 335万 SWEET 19 BLUES 安室奈美恵
*9位 328万 BOLERO Mr.Children
10位 323万 FACES PLACES globe
11位 322万 The Swinging Star DREAMS COME TRUE
12位 300万 LOOSE B’z
13位 296万 DELICIOUS DREAMS COME TRUE
14位 290万 Duty 浜崎あゆみ
15位 279万 evergreen My Little Lover
16位 278万 Love 河村隆一
17位 277万 MESSAGE モンゴル800
18位 274万 深海 Mr.Children
19位 264万 musiQ オレンジレンジ
20位 258万 MAGIC DREAMS COME TRUE もうすぐ]に「アナログフラゲしました〜」とかのツイートが
あふれるんでしょうね。やれやれだわ。 >>301
>僕が担当した最初のアルバムが発売された後、なんでこんなに制作費がかかってるんだ、と松任谷に聞かれた。普通の制作費の4倍。
あんたが使ったからだろ、ともちろん心の中で言った。二度手間、三度手間だからこうなります、と僕は言った。
ここ最高だわw 東芝から制作費の補助が減らされてトラブルになったことあったわね
芸能ニュースになってた その頃のアルバムには楽しませてもらったわ!
妻も金のかけ方が違う!みたいなこと言ってたわよね >>351
その場合の御の字って具体的にどういうこと? 十分に儲けが出るってことなのかしら?
かろうじて儲けが出るってことなのかしら? たしかに海外ミュージシャンの演奏に差し替えてても
そこまで印象に残るプレイなんてユーミン作品にないわ
深海の街だって日本人ミュージシャンだけだけどむしろ良いアルバムになってる そうなのよね、あたしたちは何聴いても由実ステキーって言う程度なんだから >>365
それで金落としてくれりゃいい、って由実は思ってるの。 ヴァーチャルオーディオシステムも正直よく分からなかった... >>359
ソニーへの移籍が決まったみたいな報道じゃなかった?
それ自体が結局はデマだったし 今思えばロスレコって
なにがなんでも必須だったとは
べつに思わないわね そういや今売ってるギターマガジンの「ティンパンアレーの真実」特集読んだ釜はいないの?
マンタはともかく由実のインタビューや昔の写真もあるわよ ダディオ―の大野久雄にインタビューしてて良かったわね 昨日の視聴会でダイアモンドダスト2024Mixがフルオンエアされた件 逸話が興味深いし文章上手いんだけど、言い方とかにプライドの強さとか嫌味ったらしさがあって
面倒くさい人なんだろうなって思うわ。マンタそっくり。 なんか一生懸命、煽てて宥めて、機嫌良く辞めてもらった感じがするのよね
こう言うのって本人だけは皆に惜しまれてって思ってるんだけどね
普通こんなこと書かないじゃない、何年も後からさ
未だに夢に出てきたってトゥイートしてんのよ、ヤバいわさ >>376
掘ったら最後の方の文章もあったわ
僕は原盤ディレクターと平行してキララシャ所属の作詞家のマネージャーも片手間程度ではあるがやっていた。
アユカワさんはその一人。彼女は大竹しのぶと同級生で大の親友であり、先日も番組に出ていたのを見かけた。
ある日、例によって青山のスパイラルカフェで打ち合わせをしていて、アユカワさんが「私、キララシャをやめようと思うの」と言った。それを聞いて、条件反射的に「オレもやめようかな」と言っていた。
僕には彼女の言葉がまさに天啓のように聞こえたのだった。前回も書いたように、このまま続けていれば僕の中にはどんどんどんどんストレスが溜まっていくだろうと思っていた。
それでその日のうちか翌日かは忘れたけれど、早速会社に辞めると告げた。あまりにも突然だったので会社は大騒ぎになった。
僕の上司であるアベとユーミンのマネージャーの大竹がどうしたらいいのか話し合っているのが耳に入った。
松任谷さんは彼がいないとレコーディングが出来ないと言ってるし、だけどどうしても辞めるって言ってるしなあ、などと。
そんなことで衝動的に言っちゃったなあなどと思っていたが、もう後には引けないな、と僕は思った。
当然のことながら松任谷と話をした。松任谷はむしろ僕は会社に勤めているよりもフリーの方が向いている、と言った。
しかし、いないと困るのでフリーのディレクターとして今までどおりやって欲しいと言われた。僕はいいですよ、と言ったが、それから条件の交渉が難航した。
フリーで引き受ける場合、一体ギャランティーをどれぐらい請求したらいいのか、既にフリーのプロデューサーとしてやっていた親友のシグマに相談した。
シグマが言うには、スタジオミュージシャンと同じで時間いくら、っていう考え方でいいんだよ、と言った。
しかし、何しろ半年以上もかかるアルバムのレコーディングである。時給で出したら拘束時間からいって膨大な金額になる。
まあそんなこんなで生活しなきゃいけないし、その辺も考えて中間地点ぐらいのギャラを僕の方からアベに提示した。
しかし、それは会社が考えているギャラとは相当な開きがあり、まったく折り合いがつかなかった。
こういう点に関しては松任谷はケチと言ってよかった。それは給料にも表れていたが。
そんなわけで僕がフリーでディレクターを継続するという話は破談になり、僕は年末をもって辞めることになった。なんだか知らないが結構な退職金が出た。
考えてみるとキララシャは僕が一番長く勤めた会社だった。えーと、7年くらいかなあ。とにかく、僕はそれから3ヶ月は休もうと思った。何もしないぞ、と。 それにあの人っぽいのよ、ここでたまに話題に出るカネテツだっけ ほらやっぱり、今になってひどく後悔してるのよ。辞めなきゃ良かったって。
フリーになって高額ふっかけて縁切られたのも結局痛手だったのよね。「僕はいいですよ」って言い方がもうね。
取り巻きが調子乗って傲慢になる典型だわ。 3年前とかならまだしももう30年近く前の話よ
でも自分の人生の中で一番輝いてた時なんでしょうね
年老いてこうなってはと思うけど、なんも輝かしいことのないあたしの人生とどっちが幸せなのかしら >>378
え?イ○テツが妄想で書いてるので?
DSLKプロショ流してた? >>379
自分がアルバム制作にはなくてはならない存在と強調してるけど、
マンタ側も面倒臭くなってたのかもね
で、手切れ金の意味も込めた結構な退職金 別にカネテツが妄想で書いてるとは思わないけど、自分の息が臭くないとか書いちゃうとこが似てんのよ
不特定多数にそれ言ったところで仕方ないじゃない、でも書いちゃうのね かねてつ、わけのわからない歌詞の解釈をツイートしてるわね。
なんなのあれは? 別に今始まったわけでないし、
いいじゃないの、かねてつなんだから
いけべ 威勢がよかったのにおとなしくなったわね
本人だったのかしら 女性自身の「松潤ユーミン逆さづり」っていったい何なのよ? >>389
その名の通りなんじゃ・・
六本木の秘密SMクラブで
拘束されて逆さづりになったユーミンが
鞭をもった松潤に御仕置をもらってるの アナログ視聴会でかけたダイアモンドダストはANNGでかけたのとエディット違いよね? そ、そうよエディットが違ってダンスっぽくリマスターをミックスしてるわ 松潤の(松潤のじゃないけど)ムービングステージを次のツアーで使うとか書かれてるけど眉唾ね
アリーナツアーになっちゃうじゃない 90年代の一番売り上げが低迷してる時に
ユーミンがアルバムどれぐらい売れてるの?って
当時のEMIスタッフ聞かれたけど、20万枚ぐらいしかうれてなくて
即答できなかったって。
ユーミンに正隆さんのプロデュース一旦やめましょーって言ったら
そしたら移籍しますって言われちゃったンだよね いつだかター坊に、自分でプロデュースしてみたら?って言われてたけど
それもあれこれ言って否定してたからね
旦那以外の他人に任せるなんて受け入れるはずもないわ 本人は手間がかかることは人任せにするタイプに見えるわ >>398
1番低迷はフローズンローゼズで32万枚だけど? >>398みたいのってまともに日本語も書けないのかしら イマジンスタジオでは公開生放送とイベントを行い、有楽町駅前広場でも、イベント「有楽町笑顔パーク」を開催。有楽町一帯を笑顔あふれる街として盛り上げる。
開局70周年を彩るテーマソングは、長きにわたりニッポン放送のパーソナリティーを務めてきた松任谷由実が書き下ろすことが決定した。
■ニッポン放送開局70周年特別番組『笑顔にナーレ!』タイムテーブル
5時〜8時『ラジオが報じたニュース70年史』
上柳昌彦・飯田浩司・高嶋ひでたけ
8時〜11時『あなたとワンダフルリクエスト』★公開生放送(9時〜11時)
垣花正・山田邦子・榊原郁恵・山内惠介・森永卓郎・中瀬ゆかり
11時〜13時『70年の半分やってる 高田文夫のラジオビバリー昼ズ特大号』★公開生放送
高田文夫・松本明子・ナイツ
13時〜15時『のってけゴールデンズーム』★公開生放送(13時〜14時)
テリー伊藤・辛坊治郎・笑福亭鶴光
15時〜17時 特別番組(パーソナリティ:タモリ)
タモリほか
17時〜19時 特別番組(パーソナリティ:松任谷由実)
松任谷由実ほか
19時〜20時『三四郎の爆湧きラジオ』★公開生放送
三四郎
20時〜22時『三宅裕司のヤングパラダイス』
三宅裕司 >>400
気になるよね
対象は業務絡みでレコード会社なのか
家事絡みでマンタさんなのか 業務絡みでマンタってのもあるでしょ
リハで口きかなかったりするんだから あたいのフランソワーズ
あんたの歌にあたいは帰るのよ どうしてもフランソワーズにしたかったわけではなく
あの曲に乗せやすい語呂だったからと以前言ってたわね。