■大谷と出会った「仙台育英の監督室」
 
 秀光中の選手は原則、仙台育英に進学する。そこで中学3年生に上がったところで渡辺は仙台育英の佐々木順一朗監督にあいさつをしに行ったのだという。そこでやけに背の高い選手に遭遇したのだ。

「大谷はユニフォーム姿だったような気がするんですよね。だから、練習に参加してたのかな。お父さんも一緒でした。パッと見かけただけなんで、話まではしてないです。(仙台育英に)来るっぽいよ、みたいな話にはなっていました」

■なぜ大谷は仙台育英に進まなかったのか
 
 実は私も水沢パイレーツ時代の恩師、浅利昭治に大谷は仙台育英に行くつもりだったという話を聞いたことがある。ところが、大谷が中学3年生に進級する年、2009年に地元岩手の花巻東が甲子園で旋風を巻き起こした。
春は準優勝、夏は4強入りを果たす。その中心にいたのは怪物左腕、菊池雄星(ブルージェイズ)だった。その活躍に触発され、進路を変更したのだという。

 渡辺は高校に入ってから伸びなかったのだ。身長も、球速も。

■天才の挫折「投げるのが怖い」

 中学では172センチまで伸びたが、高校に入ってからはピタリと止まった。高校1年夏、甲子園に出場したときの週刊朝日の増刊号『甲子園』のページを繰ると、チームごとにベンチ入りメンバーの名前が掲載されている。
渡辺の名前の右横にあった身長の欄は「175」と印刷されていたが、「サバ読んでましたね」と告白する。

「コーチが172だとバカにされるから75って書いとけって。盛り気味に書いてます。全員、2、3センチ盛ってると思いますよ」

 球速も平行線をたどった。中学時代の圧倒的な優位性は影を潜め、投げるたびに打たれるようになった。