1947年4月25日、北海道・愛別町に生まれ、中学3年の秋に上京して立浪部屋の門をたたいたが、身長が足りずに新弟子検査を4度不合格に。頭にたんこぶををつくって背伸びなどをしてようやく合格となった逸話を持つ。
63年名古屋場所で初土俵。69年春場所で新十両、同年名古屋場所で新入幕を果たした。
174センチの小兵ながら安定した下半身を土台に、とったりや食い下がっての下手投げ、上手出し投げを武器に土俵を沸かせた。76年春場所後に大関昇進。
膵臓炎などの病気にも苦しめられたが、大関在位は21場所を誇った。しぶとい相撲から「ピラニア」、研究熱心で巧みな取り口から「相撲博士」の異名も取った。
幕内在位54場所で418勝330敗57休。敢闘賞1回、技能賞6回。金星を2個獲得した。
79年秋場所限りで引退し、年寄「大島」を襲名。80年4月に大島部屋を開いた。
第63代横綱・旭富士(現・伊勢ケ浜親方)、モンゴル出身初の関取となった元小結・旭鷲山、元関脇・旭天鵬(現・大島親方)ら多くの関取を育てた名伯楽だった。
モンゴル出身力士の隆盛のきっかけをつくった人でもあった。協会の理事として巡業部長などを歴任した。