(以下、右を要約)https://x.com/yasusaburot/status/1855549564306276526
特徴的なのが両者のコメント。「強気な松本氏のコメント」と「弱気な文春側のコメント」だ。
松本氏の意思だけでなく、文春側が同意したからこそ、訴えの取り下げが出来ているわけだ。
被告側が「この裁判は勝てる」と感じていれば、訴えの取り下げには容易に応じない。双方陣営が「金銭の授受はない」と言っているから、
「双方がコメントを出すこと及びその内容」が「訴えの取り下げに被告が同意する条件」だったと考えられる。
このような場合、双方が相手の出すコメントを事前に見て、加筆・修正を求め合う。
本件でも、松本氏のコメントは文春がOKを出したコメントで、文春のコメントは松本氏側がOKを出したコメント、と考えられるわけだ。
松本さん側のコメントを見てみよう。
「裁判を終了する理由」と「謝罪」のパートに分かれる。
「強制性の有無を直接的に示す物的証拠はないこと等を含めて確認いたしました」この点は明らかに一方的な松本氏側の勝利宣言に見える。
このパートの削除・大幅な修正を求めることができなかったのであれば、せめて文春側のコメントに、
これまでことあるごとに文春側が繰り返していた「取材には絶対の自信があります」という一文をいれるはずだ。
事前の双方の協議で、「松本氏側は文春側には強制性を示す証拠がなかったとコメントする」
「文春側は『取材は正しかった』というコメントを入れない」ということが合意されたということになります。
次に、謝罪パート。松本氏の謝罪は「不快な思い」「心を痛めた」という「心情」に対する謝罪であり、
「そのようなものがあれば」という条件付きの謝罪だ。何らかの「行為」に対する謝罪ではない。
ましてや、「無理矢理行為に及んだ」ということについての謝罪ではない。
飲み会で下ネタが連発され、初参加の女性が嫌な思いをしたとして、飲み会の後、しらふに戻って「あの飲み会、不快だった? だとしたらごめんな」と言う、そんな「謝罪」だ。
しかし、この程度のいわば「形式的な謝罪」を、文春側は受け入れたことになる。
しかも、文春のコメントによると「女性らと協議して」受け入れたとのことだ。
当然ながら、文春は松本氏側から提示された「コメント案」を女性と共有したはずだ。
その上で、女性らも「このコメントで承諾した」ということになる。
この女性は、「警察の捜査」ではなく、敢えて「マスコミへの公表」を選択した方だ。その女性が「この裁判は勝つ」と考えているのなら、裁判の完遂を求めたはずだ。
文春は世間で言われているほど「取材についての絶対の自信」「勝訴への確信」はなかったのではないかと思う。
では、なぜ松本氏は訴えの取り下げを選択したのだろうか。気になる方は、中西正男氏の記事「松本人志さんの裁判終結。取材をして感じたこと。そして始まった新たな戦い」を検索してみて下さい。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/9d2ac5f8a3ce1e44056ffe7bd3bf3ae06c355bdf
いずれにせよ、本件は当事者同士が自らの意思で紛争を終結させた。この件はこれにて終了とし、松本人志さんの活躍を期待する方は松本さんの復帰をワクワクしながら待ち、復活後には大いに楽しんで下さい。
松本人志さんに反感を持つ方は、松本さんではない別のエンターテインメントを楽しんでもらえればよいと思います。
文春は今や「一つの強大な権力」、その行動一つで1人の人間を社会的に抹殺することも可能ないわば絶対権力です。
それだけの力を持っているからこそ、時には「文春の身内ではない、別の視点を持つ専門家」の意見も聞きながら、「適正な報道機関」の使命を全うして欲しいと思います。