まりやと達郎夫婦が番組で追悼の思い出語りをしてた
気難しそうなアーティストに惜しまれるってのは彼女の生前の人柄が伺えるな
達郎は長年美穂と一緒だったマネージャーさんと凄く仲が良いらしいね

竹内まりやさんが語る中山美穂さんの想い出  

中山美穂さんは、「色・ホワイトブレンド」を、私が86年の春の化粧品キャンペーンソングとして提供した時に、初めてお会いしたんですけど。
その時、確か本当に高校生、15、6だったと思うんですけど、なんかすごく大人っぽくて、しっとりと落ち着いてらっしゃる、
アイドルっていう感じよりは、なんか何て言うのか、女優さん的な感じの佇まいがあって。
で、「色・ホワイトブレンド」の中に英語のフレーズとかがあるので、それの発音指導したり、一緒にレコーディングして、すごく和やかに過ごしたのを覚えてるんですけど、今思うと、あれが15、6歳だったっていう。 
そんな若い感じには思えない。なんか落ち着いた方だった。

達郎氏:アイドルはみんな、そんなものですよ。

うん、そうかな。でもなんか、特に彼女は落ち着いてて。
私が80年に、「不思議なピーチパイ」を資生堂のキャンペーンで歌手として歌って、初めてヒットが出たんですけど、その6年後に今度は作曲家として歌手の方に春のキャンペーンソングを提供するっていう立場に立てたことが、
なんかすごく光栄で、それを歌ってくださったっていうことで、すごくいい思い出が残ってて。
特に、その後、またさらに10年ぐらい後だったかな。12年ぐらい後? 

達郎氏:12年

98年に「眠れる森」っていうドラマ、木村拓哉さんとのコンビでのドラマの主題歌「カムフラージュ」を歌わせていただいたので。
その時もみんなで最後に打ち上げの時に、美穂さんと拓哉君とみんなで集まって、舞台の上にみんなで立って、
この「カムフラージュ」をみんなで合唱というか、みんなで歌った思い出があって、その時もね、なんかすごくしっとりしてた、落ち着いた人だなっていう風に思ってたんだけど。
覚えてる?

達郎氏:彼女のマネージャーと僕すごく仲良かったんでね。

そうだったね。
だからまた今回、こんな突然いなくなるなんて思いもしなかったし、特にライブを控えてらしたっていうことを聞いたので、なんか胸がすごく痛くなりました。

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