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0211名無しさん@ピンキー2024/05/25(土) 06:04:00.45ID:KO63Yw/b
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0212名無しさん@ピンキー2024/05/25(土) 06:20:00.28ID:KO63Yw/b
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0213名無しさん@ピンキー2024/05/25(土) 06:34:11.51ID:KO63Yw/b
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0214名無しさん@ピンキー2024/05/25(土) 07:10:18.04ID:KO63Yw/b
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0215名無しさん@ピンキー2024/05/25(土) 07:30:25.92ID:KO63Yw/b
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0217名無しさん@ピンキー2024/05/25(土) 07:50:00.50ID:KO63Yw/b
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0218名無しさん@ピンキー2024/05/25(土) 07:51:00.34ID:KO63Yw/b
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0219名無しさん@ピンキー2024/05/25(土) 07:52:00.15ID:KO63Yw/b
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0220名無しさん@ピンキー2024/05/25(土) 07:53:00.29ID:KO63Yw/b
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0222名無しさん@ピンキー2024/05/25(土) 13:52:00.02ID:KO63Yw/b
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0223名無しさん@ピンキー2024/05/25(土) 13:53:00.66ID:KO63Yw/b
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0224名無しさん@ピンキー2024/05/25(土) 13:54:00.03ID:KO63Yw/b
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0225名無しさん@ピンキー2024/05/25(土) 13:54:59.97ID:KO63Yw/b
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
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各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
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るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0226名無しさん@ピンキー2024/05/25(土) 13:56:00.45ID:KO63Yw/b
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0227名無しさん@ピンキー2024/05/25(土) 14:10:00.03ID:KO63Yw/b
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0228名無しさん@ピンキー2024/05/25(土) 14:11:00.28ID:KO63Yw/b
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0229名無しさん@ピンキー2024/05/25(土) 14:12:00.28ID:KO63Yw/b
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0230名無しさん@ピンキー2024/05/25(土) 14:13:00.38ID:KO63Yw/b
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
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各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0231名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 18:21:00.44ID:lB6nIM8f
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0232名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 18:21:59.84ID:lB6nIM8f
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0233名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 18:23:00.03ID:lB6nIM8f
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0234名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 18:24:00.41ID:lB6nIM8f
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0235名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 18:25:00.30ID:lB6nIM8f
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0236名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 18:35:59.81ID:lB6nIM8f
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0237名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 18:36:59.83ID:lB6nIM8f
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0238名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 18:38:00.08ID:lB6nIM8f
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0239名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 18:39:00.21ID:lB6nIM8f
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0240名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 18:40:00.44ID:lB6nIM8f
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0241名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 19:46:00.19ID:lB6nIM8f
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
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イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0242名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 19:47:00.29ID:lB6nIM8f
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0243名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 19:48:00.25ID:lB6nIM8f
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0244名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 19:49:00.30ID:lB6nIM8f
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
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のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
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イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
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更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
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0245名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 19:50:00.33ID:lB6nIM8f
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
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もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0246名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 22:10:00.54ID:lB6nIM8f
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0247名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 22:11:00.32ID:lB6nIM8f
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
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そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0248名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 22:12:00.20ID:lB6nIM8f
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0249名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 22:13:00.36ID:lB6nIM8f
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0250名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 22:14:00.55ID:lB6nIM8f
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0251名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 23:20:00.34ID:G4c1Wb77
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
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ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0252名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 23:34:00.35ID:G4c1Wb77
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0253名無しさん@ピンキー2024/05/29(水) 23:36:00.39ID:G4c1Wb77
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0255名無しさん@ピンキー2024/06/02(日) 15:13:00.61ID:nFIylkv6
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0256名無しさん@ピンキー2024/06/02(日) 15:16:00.37ID:nFIylkv6
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0257名無しさん@ピンキー2024/06/02(日) 15:30:59.92ID:nFIylkv6
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
0258名無しさん@ピンキー2024/06/02(日) 15:47:02.67ID:nFIylkv6
まずは、フレイジャーの失明ですが絶対に有り得ない、有り得ないのです。
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。
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