障害者様の人数とその要求に必要な奴隷の人数比で考えたら「自分が障害者になる」よりも「障害者の奴隷として
人権を踏みにじられる」方がよほど蓋然性が高い
そして利益闘争なので遠慮は不要と障害者自身が主張した