ヴィットリオ・ヴェネトはトリエステのカンティエーリ・リウニーティ・デッラドリアーティコで1934年10月28日に起工、1937年7月25日に進水し、イタリアがフランスおよびイギリスとの戦争開始後の1940年4月28日に竣工した。

1940年11月27日にはスパルティヴェント岬沖海戦に参加し、遠距離からの7度の主砲斉射によりイギリスの巡洋艦隊を後退させた。

1941年3月26日から29日にかけてヴィットリオ・ヴェネトはマタパン岬沖海戦に参加し、ペロポネソス半島沖で砲戦を繰り広げた。
カヴドス島近海でイギリスの巡洋艦隊に小規模の被害を与え退却させた後、ヴィットリオ・ヴェネトは雷撃機による攻撃を受け、帰還を余儀なくされた。イタリア艦隊はヴィットリオ・ヴェネトを援護するため5列の特異な陣形を取ったが、
二度目の航空攻撃および続く夜戦で、3隻の重巡洋艦と2隻の駆逐艦がイギリス戦艦による砲撃で撃沈された。

魚雷攻撃により大きく破損し、4,000トンの海水が浸水したものの、ヴィットリオ・ヴェネトはタラントに帰還した。しかしながら修理には5ヶ月を要した。

1941年12月14日、北アフリカへ補給船団を送るM41作戦で出撃中にイギリス潜水艦アージの雷撃を受け、魚雷1本が命中し損傷。

1942年には「Gufo」E.C.4 レーダーを装備する最初のイタリア戦艦となる。

ヴィットリオ・ヴェネトは地中海で56回の作戦活動に参加し、その内の11回は索敵攻撃任務であった。

1943年9月8日の休戦後、ヴィットリオ・ヴェネトはエジプトに派遣され、スエズ運河のグレートビター湖で抑留された。
ヴィットリオ・ヴェネトが連合国軍と共にフランス南部および太平洋で戦闘に参加するという提案は、政治的・運用上の配慮により実現しなかった。

第二次世界大戦後、ヴィットリオ・ヴェネトは賠償艦としてイギリスに回航されたが、その後イタリアに返還され、
1948年に除籍された後も長期間保管されていたが、1960年にスクラップとして廃棄された。