物神という言葉の通り本来はパーツに過ぎないはずの物が
本チャンに取って代わって目的化してしまう倒錯がフェチでしょ
フェチならそのパーツの方が本番より価値があるから挿入シーンを描く必然性がないわけよ
シチュエーションを含めると挿入に至るまでの道筋の好みの話にしかならなくて
それだとフェティシズムの持つ全体と部分の倒錯とか
手段と目的の倒錯といった重要な部分が抜け落ちちゃう