コペンハーゲン解釈は本当に要約だけすれば
「世界は観測する前は重ね合わせで複数存在しているが観測することで収束する」って話で
この場合は世界を「観測」できるのはアララギのみかつアララギ自身は常に一つの枝にしか存在しないので
アララギが最終的に存在する(観測している)枝がその収束先になる
ちなみにアララギが作中で言ってる様に多世界解釈は結局コペンハーゲン解釈を再説明しただけ