一万円をドブに捨てたという事実に衝撃を受け、それを頭では理解しようとするが、感情的にその事実を否認(逃避)している段階。
「なにかの間違いだ」というような反論をするものの、それが否定しきれない事実であることは知っている。
周囲は、この事実にもとづいて考えを進めているため、そうした周囲から距離を取り、孤立することになる。
第2段階:怒り
くそげだという事実は認識できた。しかし「どうして悪いことをしていない自分がこんなことになるのか」
「返金しろ。開発が悪い」というような怒りにとらわれる段階。
ケースによっては、購入検討者などに対して「あなたはいいよね」といった皮肉のような発言をすることもある。
根底にはやはり「なぜ、自分が」という、強い反発がある。
第3段階:取り引き
信仰心がなくても、神や仏にすがり、ゲームの死を遅らせてほしいと願う段階。
くそげだということはわかったが、もう少し何とかしてほしい。これまでの行為も改めるといった「取り引き」をしようとする。
なんとか、回避することができないか、模索する。はじめは「パッチをだしてほしい」という願いが
「◯◯をするので、あと少しだけ」という具合に、取り引きの条件が自分に不都合なほうに変化することもある。
第4段階:抑うつ
「ああ、これだけ頼んでもダメか」「神も仏もないのか」というように、自分なりに神や仏に祈っても、回避ができないことを悟る段階。
悲観と絶望に打ちひしがれ、憂うつな気分になる(正確には、抑うつと悲観は異なる概念である)。頭で理解していた事が
感情的にも理解できるようになる。神や仏の否定になるケースもあり、虚無感にとらわれることもある。
第5段階:受容
それまでは、金をドブに捨てたという事実を拒絶し、なんとか回避しようとしていたが、たまにはハズレを引くことは自然なことだという気持ちになる。
個人差もあるが、それぞれに生命観や宇宙観のようなものを形成し、自分を、その中の一部として位置づけることもある。
自分の行為を、静かにみつめることができるようになり、心に平穏が訪れる。