中学の血気盛んな時にヤリまくってた人 その5
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俺もふみコミュにはずいぶんと世話になったぜ!
あんなに使えたサイトはなかった。
長野の小学生を連れ出したクソ野郎のせいで一気に使えなくなっちまって(´・ω・`)だぜ、、、
塚俺もあの子にメール送ってたんだけどなww まず中2の夏休みでHした奴ら中心にフェラブームがおきて、誰が一番
上手いか大会みたいなの始まって、
最終的に学年のキモい組をフェラでイカす遊びが流行りだしたウチのDQN中学
もちろん俺はキモい組な♪ 705だけどゴム買う金はあったけど、初体験が生っていうのもあって女の子から強く言われない限りは生だった
あとホテルとか家じゃなくてカラオケでヤってたこと、偽名とサブアド使ってたからアシが付かないだろうと思って大体中に出してた
後はプリクラの中で舐めさせたり障害者用トイレでヤったりとかかな
いくつか印象に残ってるのもあるから大掃除が終わったら投下しますw 掃除も一息ついたので少し投下
まず、中学生当時自分は携帯をまだ持っていなかった
ので先に紹介したふみコミュのチャット広場やプリクラ広場、投稿広場(掲示板的なもの)の中で連絡のやり取りをしてた
だから写メ交換とかもなく、基本的には会うまでお互い分からないというデメリットもあったけれど
そこは盛り始めた厨房 穴と乳があれば特に気にはならなかったな
後は、チャット内で「そういや友達がこの前初Hしたらしくてさ〜..」って話を振って反応を見る 拒否されたら元の話題に戻して適当な所で落ちる
反応が良ければ更に突っ込んで行って「今度カラオケでも行こー」で会ってた感じ
相手の顔分からなくても、告られた回数聞くだけでも多少分かるしな
というかヤった女の子の話全然してないな...それはまた後で >>713
待ってるぜ
てか初セックスもそこで知り合った子と? >>714
初体験は同じ学校の同級生でした 相手が分かりやすく自分に惚れていてくれたので調子に乗って色々要求してたら幻滅されて振られましたw
一番印象に残ってるのはc2でEカプの子かな
自分ちと相手の家の中間くらいの場所で待ち合わせ、会う日時、服装をチャットで決めておく
乳好きな自分は気兼ねなくヤりたかったのでカラオケでなく現地から近くて最安のホテルを事前検索
当日、駅前で待ってると言われていた通りの服装の子が来た
見た目は篠崎愛体系の顔はmisonoを少しふとましくした感じだった気がする
声を掛けて、近くの公園で30分程雑談
あらかじめチャットでオナの話とかもしてたので頃合いを見てキス→乳揉み
抵抗もなかったので「ちょっと行きたい所あるから付いてきて」でそのままホテルin >>715
紫煙
自分がいちばん気持ちよかった時の話なぞをくわしく 中学の時、ひょんな事から近所の飲み屋のママと知り合って、ツバメみたいな事やってたけど
さすが人生経験豊富なだけあって、エッチだけでなくいろいろとすごい勉強になったわ。
俺、中学時代はヒッキーで同じくヒッキーだった2個上の人とヤリまくってた…
てか、ほぼ毎日、その人とゲームで遊ぶかH。
確かに性欲と孤独感は満たされたけど、社会から取り残されてる感じはしたな…
だから、あの時期にマトモな思い出がある人が羨ましくて仕方ない… >>722
貴重な体験じゃないか。
社会から隔絶された心境や疎外感を思い出して本でも書けば?
若いならなおさらだ。 つうか中学で性欲満たされてたことほど勝ち組いないっての
ロクな思い出もない上に童貞だった俺は救いようがないわ
それにヒッキー同士なのに会ってセクロスはできるのかよ 誰かと会ってる時点でヒッキーじゃない。
登校拒否の間違いじゃないのか。 まっ、ありがちだけど、俺が中学の頃いた所はど田舎で遊ぶところがなく、金もないので、彼女とひたすらヤりまくってたな。
ただ、俺と彼女は地味で真面目グループの生徒だったから、後年、それを知った友達は凄い驚いてたっけw
真面目君、真面目ちゃんでもやる事はやるんですよw ど田舎で遊ぶ所はないし、お互い帰宅部で特にする事もなかったから、『じゃあ、Hしてみようか』となって、やってみた感じ。
ただ、お互い、処女・童貞だったから、結構手間取ったし、いざ挿入しても最初の内は、彼女がもの凄い痛がってたから、慣れるまでゆっくり気を使いながらやってた。
だから、初めての時はお互い気持ち良くはなく、えらい疲れたってのが、正直な感想だね。
だけど、慣れたらもう止まらなくて、山や河川敷や公園のトイレ、酷い時は学校の用具室や図書館等、場所を選ばずヤりまくってたw ああ、俺も田舎出身だから分かるわ、その感じ。
工房時代なんでスレ違いだが、近所の畑の納屋とかでやってた。
同じくマジメグループの男女だったんで、今でも当時の関係に気づいている同級生は居ない。
いまは出身の中学、高校に業者の立場で出入りすることがあるけど、
未だに 「然る場所」 にコンドームの包装とか落ちててマジで笑うよ。
二十年近く経っても変わらないんだなって。
とにかく、田舎ってすることがないんだよなw
ましてや、中坊の時は年中、発情期だったからねw
学校でも性欲抑えられなくなった時は、昼休み、誰もいない所で彼女に抜いてもらったりしてたわw
あと、朝、ムラムラした時は学校行く前に近所の公園のトイレに行って、一発やってたりもしたw
とにかく、あの頃はHする事しか頭になかったわw あの頃すごい幼くて女性もだめだったが
当時やはり性欲すごかった時期だしな
もし出来る子でもいたら幸せだったかもな
いま三十路で性欲もないが当時Hしてたらどうなってたんだろ
すごい出して飛ばしてそうw 今思うと中学時代って彼女とエロいことばっかりしてた
男友達ともっと遊んどきゃ良かったと思う >>736
中高と同級生の女にあまり興味を持たず、男友達とばかりカラオケやゲーセン、ボウリング行ったりして遊んでて、社会人になってから学生カップルを見るたびに「俺も制服女子と付き合いてぇ」ってな感じでロリコンになった俺みたいなのもいるから、そこんとこ忘れんなよ。 >>736
俺は逆かな、、、、
同性ばかり相手にしてた
チャンスはかなりあったぽいがなにせ地域も人間もイモだからw >>731や>>736みたいな人に、
時系列でなくていいからいろんなエピを書いて貰いたい。 Hうんぬにょりもあの頃の性に対して純粋な頃に戻りたい
いまじゃもう冷めてるいうか、、、、、枯れてるというか、、、、 中学2年からヤリまくりだったわ
彼女の家で毎日のようにしてた。あの頃は若かった… >>750
中3の時転入した先生と付き合ってたよ
私が6ヵ月程で元の学校に戻ったからそれからは頻繁に会って会う度にしていました。
本当にエッチの思い出しかないくらい。 >>752
女性の方?
先生にどんなことされました? でも中学の時教師と付き合ってやりまくってた女子って意外といる
大学の時とか飲み会の暴露話でポロッとでるね
遅くなってごめん
>>753
私は女です。
最初の方は胸を弄られたりアソコを舐められたり色んなところを触られたり舐められたり、ずっと気持ちよくしてもらっていました。
初めてだったし入れられる事には抵抗があって…。
何時間もねっとりと舐めてくれて本当に気持ちよかった
それが3ヵ月くらい続いたかな。途中からは自分でおねだりしていたよw
私がしたいなと思ってようやく本格的なセックスをするように。
正常位→騎乗位→バック
全身鏡とローションもした。
休みの日は朝からつぎの日の朝までずっとしてた事もある(もちろん休憩あり)。
>>756
意外といるみたいだよね。
自分は2人くらい知ってる。
でも私は恥ずかしいから誰にも話した事ないや。 >>759
ごめん調教ってどういう意味かわからない…
プレイはクリームつけて舐められたりメイドさんの服着て先生に奉仕して言いなりになったり
一番興奮したのは先生のネクタイで目隠しされて制服のスカーフで手縛られた時かな。
青姦や外ではした事ないしプレイ事態はそんなにないです。
>>760
うん、先生にそう教わってたからそうするものだと思ってた… 詳しく書いてほしい!
目隠しした時の事とか
読んでると興奮してきたわ
先生と付き合ってるって噂になった子は大人びた美少女だったからあなたもそうかな?w >>762
おまえがおっさんになったらインポになってるだろうよ 中学生と先生かー、まじで現実にいるんだな。
きっと美少女だったんだろうね。
いや美少女想像してるので美少女であってほしいwww
想像しただけでイケる・・・ 中学生のときトイレでやってる先輩見た事ある
保健室でもやってたしこれぞやりまくりって感じ
>>690
相手30代だし「二番目の恋」よりましだな。 中1のころ、2個上の代が荒れてて、先輩から部室でやった話とか、カラオケボックスで乱交したとか色々聞いて興奮した思い出がある。
でも、うちらの代は平和で、ほとんどのやつが卒業まで童貞だった。(俺も) >>772
週刊誌広告の見出しに、ホタテの人がそんなことをしたと書いてあったような。 休みの日に彼女部屋で朝から夕方までに7発とかやってたなぁ…
今はEDなって全くだけど…あの頃はよかった 俺は2年生のときに3年生の女子テニス部の先輩で初体験
その後先輩数名とヤった
モテ期だったので1年生も数名手を出したけど
俺のスキル不足で挿入出来たのは3人 中1の終わり。
その頃の私は、今よりもさらに体が細く、ヒョロッとした感じ。
肥満体型の叔父にしてみれば、体重が半分ぐらいの私を押さえつけることなんて、容易なことだったと思う。
家の中で襲われた。
私なりにかなり抵抗したし、ずっと泣き叫んで拒否したのに…。 叔父は圧倒的な力で私をねじ伏せ、唇を奪い、激しく舌を絡ませてきた。
初めてのキス。
その気持ち悪さ…。
キスのショックで呆然として、一瞬気が遠くなった。
気がつけば、すべての服と下着を剥ぎ取られてしまってた。
叔父はしばらくの間、私の胸を中心に、全身を舐め回した。
もちろん、私は抵抗を続けていたが、悲しいかな、やがて全身に力が入らなくなってしまった。
いわゆる、“ギブアップ”。
後は、もう叔父のやりたい放題…。叔父のペニスを受け入れざるを得なかった。 大きく膨れ上がったペニスが入ってきた時、身体を真っ二つに切り裂かれた感覚に見舞われました。
そして、すぐに襲ってきたのは、脳天を突き抜けるような痛み。
あまりの激痛に、幾度も幾度も“いっそ死んでしまいたい”とさえ思ったほど。
それに、叔父はお相撲さんみたいな肥満体。
全体重が華奢な身体の私にのし掛かったので、本当に押し潰されると思いました。 なだめられたり、すかされたり…で、叔父との肉体関係はしばらく続いた。
おとなしかった私は、悩みつつも、結果的にはそれに従っていた。
家やラブホなんて時もあったけど、車ですることが多かったな。
叔父にしてみれば、うちの親にバレないようにするための工夫だった。
イクことを教えたのも叔父だったけど、心が満ち足りることは一度も無かった。 多い時…というか、親に見つかるまで、週に2回以上はセックスしてた。
叔父は、よく学校の帰り道に私を待ってた。
車に乗せられ、家からさほど離れていない裏山の脇道みたいな所へ連れて行かれた。
イクことを知ったのは、セックスを始めてから1年以上経ってからだったと思う。
いったん覚えると、いつも必ずイクようになってしまった。
嫌だ嫌だと思いながらも、身体が勝手に反応する…。
“女のカラダって、一体なんやねん。。”
と気持ちは余計にブルーになり、自分の身体を呪ったこともありました。 叔父は最初の時を除き、大抵は避妊してました。
さすがに、私が妊娠するのは困ると思ってたのでしょうね。
車では、コンドームを使ってました。
でも、ラブホや家の時は、イク寸前にペニスを引き抜き、私のお腹のあたりや口の中に出しちゃうことも多かったです。
いま振り返れば、こんな方法でよく妊娠しなかったものです。。 親に発覚する少し前…。
叔父はよく「家出して、ゆりかと2人で暮らす」と言ってた。
事実、県外へ仕事を探しに行くということも実際にやってた。
叔父が私を抱いている時は、「お前を一生離さない」と、いつも口癖のように囁いていた。
「透き通るような、ゆりかの肌がたまらない」とも呟いていた。
それが“愛”なのかどうかはよく分からない。
その頃の私は、物を考える気力をすっかりなくしていて、
「なんでも、どうでも、もうええわ。。」
としか思ってなかった。
あの時、親に見つかって2人の関係が断ち切られなければ、大変なことになっていたかもしれない。
叔父に裸にされ、抱き締められると、いつも悪寒がした。
キスをされ、舌を絡められると、必ず吐き気をもよおした。
でも、でも…。
いざ、セックスが始まってしまうと、もうダメだった。
ペニスの抜き差しが激しくなればなるほど、私の頭の中と身体は
“気持ちイイ!!”
が支配した。
それは、叔父が射精を終えるまでの間、私のほうが何度も何度も「絶頂」に達してしまうほどの快感だった。
演技する気はなかったけど、イク時はどうしても絶叫せずにはいられなかった。
叔父とセックスした夜は、そんな自分が情けなくて、悔しくて、いつも泣いていた。 叔父との肉体関係は嫌だったのに、最後のほうになると、
“死ぬほど嫌”だとは思わなかったんじゃないかな?…と、当時の自分を振り返ってます。
いつも心はブルーでした。
でも、叔父のペニスで膣の中を掻き乱され、いったんイッてしまうと、心のどこかで2度目、3度目の“次の波”を期待している自分がいたのです。
そんな時のゆりかは、「妊娠してもいい」とは思わなかったけど、「出来ちゃっても仕方ない。。」とは思ってました。
叔父の行為に対する「容認」の反応は、最後までしませんでした。
少なくとも、叔父を抱き返すようなことはやらなかったつもりです。
正直言って、何度も何度もイッテる時に、
“何かにしがみつきたい!”という欲求にかられたことはあります。
だけど、いつも心の底で、“叔父の背中に手を回したら、オシマイ”という念は持ってました。
その日の私は、“何か”が違ってた。
叔父の部屋。
お決まりの正常位で挿入された時、いつもなら悪寒が走るのに、それが無い…。
むしろ、「痒いところを掻いてもらってる」…みたいな感触を、ムズムズと膣のあたりに覚えた。
時間が経つにつれ、叔父の動きが激しくなるにつれ、“気持ちいい”を自覚せずにはいられなくなってきた。
おし殺していた声を洩らした。
いったん声を出してしまうと、快感はぐんぐん増大する。
それは膣からお腹あたりまで感じるようになった。
“もう、どうにかして!”という思いで頭が一杯になった。
その想いが、自然と口から“イキそう。。”いう言葉になってしまった。
自分で、気が狂ったと思った。 叔父は素早く体位を変え、私に犬みたいな姿勢を取らせた。
すぐに叔父のペニスが勢いよく入ってきた。
いつもと角度が違う、激しく力強いピストン…。
たちまち全身に痺れるような快感が走り、間もなくそれが脳天で炸裂した。
たぶん、大声で“イク!!”と言ったと思う。
胎内の肉がギュッと縮み、嫌だったはずのペニスを包み込んでるのが、自分でも分かって恥ずかしかった。 学校の帰り道。
車で待ってる叔父になだめられたりスカされたり、なんだかんだと言われ、近所の山に連れて行かれました。
少しでも嫌がると、友達の前でわめこうとするので、仕方なく車に乗り込みました。
車の中でも、やろうと思えばセックス出来るなんて、その頃まで想像もしてませんでしたね。
(∋_∈)
私は肌が敏感というより“過敏”なほうかも知れません。
わずかな時間、軽〜くクリトリスを撫でられるだけでも、何度もイクことがありました。
(その日の体調にもよりますが。)
叔父の場合、バックの他に、男女の関係が長くなると、私を上に乗せることが多かったですね。
私も、そのほうが肥満の重さを感じなくて済み、少しは楽でしたね。
叔父の相手は、なにも知らない頃から3年間も続いたので、大抵のことはしたと思います。
“もう、なんでもどうでもいいや”
…とある時期から考えるようになってしまった。。
それからは、もう叔父の言いなりみたいなものでしたから。
なんでもしましたよ。
叔父は時々、私をラブホテルへ連れて行きました。
そこでは、ふだん車ではしないようなことを色々と求めてきましたネ。 オシッコするところが見たいと言うので、浴室でしたことがあります。
叔父は、それだけでも勃起してましたもん。。
そんな時は、その場でいきなり挿入されましたね。
(@_@)
あと、一体どこで手に入れたのか、見るからにいやらしい下着を着せられたりしたこともありました。
私にしてみれば、裸より恥ずかしかったものです。
叔父も妊娠は望んでなかったので、コンドームを使ってましたが、ラブホでは避妊してくれないこともありました。
(-o-;)
射精が終わったら、そのたびに、
「赤ちゃんが出来たら、もうオシマイや!」
と訴えはしましたが、結局のところ、避妊は叔父まかせでしたネ。
いったんセックスが始まってしまったら、そんなことはもう言えませんでしたし…。
オモチャというか、ラブホでは備え付けのマッサージ器は必ず股関に押し当てられました。
私が何度もイクので、きっと面白かったのでしょう。
大声で叫び続けて、その声が枯れ、気絶しそうになるまで叔父は止めませんでした。 正直に言うと、生理中などはお尻でしました。
(*_*)
私、本当に何も知らなかったのです。
これも、やはりイクことを覚えた頃からかな?
その時は、生理ではなかったのですが…。
ラブホのお風呂の中で、叔父がある時、
「世間のカップルが、皆やってること」
と嘘をつき、ゆっくりお尻の穴に人差し指を入れてきました。
その時の私は、すでに何度かイッた後だったので、もはや叔父のされるがまま。
とても気持ち悪かったのですが、ぼんやりしてるせいもあって、逃げるほどでもない…。
しばらくその様子を見た叔父が、私を浴槽から抱きかかえ、素早くマットに下ろすなり、背後からボディソープを塗りたくったペニスを押し込んできました。
それは、いつもの膣ではなく、先ほどまで指が入っていた肛門…。
あまりの激痛に絶叫しましたが、同時に敏感なクリトリスを撫でられたことで、意識はそちらに集中でき、叔父が射精するまで我慢しました。
“お尻は死ぬほど痛いけど、クリトリスの快感で辛抱した”
という、ある意味では2度目のロストバージンでした。
叔父は私を何度かエクスタシーに導くと、色んなことを要求してきました。
フェラは、叔父が「もういい」と言うまでさせられてました。
自分で頼んでおいて、実に勝手なものデス(苦笑)
( ̄・・ ̄)
車では無理ですが、家やラブホでは、叔父の足の指を舐めさせられたりしました。
(これは、私もよくされましたが…。)
あと、必ずしてたのは、犬の姿勢になった叔父の背中からお尻、ペニスに繋がった袋までのキスとか。。
まぁ、本当にあの時期、叔父には「男の欲望」について、嫌でも教わったものです。
\(+×+)/
私が1度イッてしまえば、それなりに従順になってしまうので、時には叔父の身体の上に乗って、腰を振るよう命令されました。
私も、叔父の体重でしんどくなる正常位よりも、どうせなら騎乗位のほうが楽だし、
「なんでもどうでもいいや」
の心境で、積極的ではなかったけど、叔父が「もういい」というまでは腰を振ったり、上下したりしてましたね。
叔父も、胎内への射精は避ていたと思います。
妊娠すると大変なことになる…というのは、分かっていましたから。
なので、まともに私の中へ出しちゃったのは、年に数回程度。
“暴発”みたいな感じ。
リアルに数を覚えてる訳ではありません(苦笑)
(*_*)
ただ、いま振り返ると(コンドームを使う場合)、避妊は正しい方法じゃなかった。
イキそうになったら1度ペニスを抜き、素早くゴムを装置するというやり方がほとんど。
その方法が間違いだと気づいたのは、叔父との関係が終わってから。。
本当、よく妊娠しなかったものデス。
(>_<)
中3の冬休み。
叔父に誘われるがまま、車でラブホテルへ行った時の出来事。
私はこの時期、叔父に対し、もうあまり抵抗しなくなっていた。
“またしたいのかぁ。。”…って感じ。
部屋に入るなり、言われるがまま私は服を脱ぎ、裸になると、先にベッドに横たわった。
その時、叔父がショルダーバッグから取り出したのは、いつものコンドームではなく、麻の紐とアイマスク…。
そして、私の部屋から勝手に持ち出した、数本の毛筆。
とても大切にしてる、愛用の物だった。 私が
「???」
と思ってるうち、叔父がいきなり私をうつ伏せにし、“後ろ手”の状態で縛り上げた。
久々に味わう恐怖感!
バタバタと抵抗したけど、やはり無駄。。
気がつけば、足首も締め上げられ、私の動きが止まったところを見定めて、最後にアイマスクをされた。
…で、いつもと少し違う前戯が始まりました。
続きは、いつかまたね。
私は物心ついたときから芸能プロのレッスンに通ってた
とはいえ子役なんて呼べるものではなく幼稚園で流行っていた習い事の延長
でも演技は楽しくて中学上がってもちろん演劇部に入部した
部長候補と言われるのも当然と受け止めてた
初めて本公演で主役をやれる二年生になったけど蓋を開けてみたら私は準主役
家出を繰り返すような不良少女の役柄には合わないとのことで
今で言えば板野友美みたいな派手なコが主役に抜擢された
私は黒髪ロングでおとなしい顔立ちだったので外されたのだった
役とあらば不良少女だって演じられるのにと悔しかった
私は成績は良かったけどそのぶん耳年増で好奇心もあった
役に近づいてやろうと決心した
自宅に帰ってから自室で鏡を見ながら中指を膣に入れてみた
1ミリに1分以上かけて私は指の根元まで体に沈めた
妙な自信が芽生え、今度は子供から女になりたい欲求が生まれた
とはいえ学校では真面目だったので誰にも知られたくなく相手を選ぶのにかなり迷ったが
レッスンで体に触れ合ったことがあるので芸能プロのM先輩(15歳)を選んだ
さりげない誘い方なんて14歳の生真面目な処女が出来るはずもなく
「演技のために男を知りたいから協力してほしい」と頼んだ
かなりドライな交渉だったが緊張の裏返しであった
彼は童貞ではなく、私は小耳に挟んで知っていた
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