▼膳場貴子さんのマン毛を見たい(3本目) [転載禁止]©bbspink.com
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椅子の上で素っ裸のままM字開脚のまま緊縛されている膳場貴子さん。
マン毛・ヴァギナ・肛門が丸見えである。乳房の上と下も縄で縛られている。
気を失っている(ふりをしている)。暫くして気がつく(ふりをする)。
「あっ!これは何?何で私はこんな格好で縛られているの!?」
そこに不適な笑いを浮かべた國本未華と古谷有美が現れる。二人とも女王様のコスチュームである。
「ちょっと!あなた達、どう言うつもりなの?私をどうするつもりなの!?」
古谷有美が膳場さんの背後に回って膳場さんの髪をグッと掴む。剥き出しになる額。
「膳場さん。ジタバタしない方がいいですよ。私たち今から膳場さんを思う存分甚振ろうと思ってるんです。」
「古谷さん!そんな事をして許されると思うの!?」 國本未華が両手の人差し指で膳場貴子さんの乳首を軽く突っつく。
「國本さん。やめて!そんな事をしては駄目!」
國本が膳場さんの股間を覗く。
「膳場さん。感じてるんですね。愛液が出てますよ。
それと膳場さんのマン毛って随分濃いんですね。肛門のあたりまで生えてます。」
「嫌!そんな事を言わないで!早く縄をほどいてちょうだい!」
古谷が膳場さんの髪を掴みながら意地悪い表情で言う。
「膳場さん。今からもっと恥ずかしい目に逢わせてあげますよ。國本さん。例の物を持って来て。」
國本がワゴンに一式乗せて運んで来る。浣腸器、グリセリン液が入った瓶などが乗っている。
それを見て膳場さんが驚きの表情を見せる!
「やめて!浣腸なんて嫌!絶対嫌!」
古谷が膳場さんの髪を掴みながら言う。
「膳場さん。観念した方がいいですよ!」 國本未華が右手人差し指にローションをつけて膳場貴子さんの肛門に突っ込む。
「アッ!」顔を顰める膳場さん。國本は浣腸器で瓶に入ったグリセリン液を吸い取る。
そして浣腸器の先を膳場さんのこげ茶色の肛門にブスリと刺す。ゆっくりと浣腸する。
「ああああ・・・・。やめて!」大腸に冷たいグリセリン液が入るのがわかる。
一本では済まない。二本目、三本目の浣腸をする。浣腸が終わる。
グルルルゥ・・・・。膳場さんの大腸が不気味な音を立てて鳴る。
目尻に皺を作って歯を食い縛って便意を堪える膳場さん。額には脂汗が流れる。
「うーん・・・・。苦しい。トイレに行かせて!縄をほどいて!」
膳場さんの髪を掴みながら出水が言う。
「膳場さん。まだ2分しかたってないじゃないですか。せめて5分耐えて下さいよ。」
「そんな・・・・5分なんて・・・。無理だわ!」
必死に便意を堪える膳場さん。何とも美しくてエロチックな姿だ。 5分が過ぎた。「お願い!もう5分過ぎたでしょ?トイレに行かせて!」
古谷が膳場さんの髪をグッと掴んだまま言う。「わかりました。じゃあここで洗面器に出して下さい。」
國本が洗面器を持って来る。「えーっ?そんな・・・。約束が違うじゃない!」
國本が言う。「膳場さん。私たちは決してトイレで排泄させてあげるなんて言ってませんよ。ここで洗面器に出させてあげると言う意味で言ったんですよ。」
便意を堪えながら膳場さんが言う。「そんなあ!ひどいじゃない!ここで出すなんて・・・。」
膳場さんの我慢も限界に来た。膳場さんの肛門が開く。
ジャアーッ!國本が膳場さんの肛門から出たグリセリン液を洗面器で受け取る。
ブブウゥーッ!膳場さんの肛門から大量のウンコが出てくる。室内に異臭が漂う。
古谷と國本が大笑いする。「あははは!膳場さんのウンコって臭いんですねー!」
「イヤァーッ!見ないで!」顔を背けて叫ぶ膳場貴子さん。まだ排泄が続く。 素っ裸でM字開脚で緊縛されて脱糞し続ける膳場貴子さん。ようやく排泄が終わる。
洗面器にはかなりの量のウンコとグリセリン液が入っている。異臭が漂う。
國本美華がトイレットペーパーで膳場さんの肛門を拭く。
「あああ・・・。惨めだわ。後輩に肛門を拭かれるなんて・・・。」
國本が両手で洗面器を持ち、意地悪くチャプチャプ鳴らしながら膳場さんの顔の前に持って行く。
「イヤアァーッ!イヤアァーッ!やめてーっ!」顔を左右に背けながら絶叫する膳場さん。
古谷が膳場さんの髪を後ろからグッと掴んで意地悪く言う。
「膳場さん。恥ずかしがる事ないじゃないですか。あなた自身が出したウンコでしょ?」
「イヤアァーッ!もうやめてーっ!縄をほどいてーっ!」
國本が洗面器に入った膳場貴子さんのウンコをトイレで流す。古谷が縄をほどく。
だが、これで責めが終わった訳ではなかった。 女王様のコスチュームの古谷有美と國本美華が素っ裸の膳場貴子さんを歩かせて磔台の前に行かせる。
素っ裸の膳場貴子さんを後ろ向きにして磔にする。
「えっ?まだ解放してくれないの!?」「駄目です!」そう言いながらSM用小型皮革製バラ鞭を2本持ってくる古谷。
古谷と國本が交替しながら素っ裸の膳場貴子さんの背中や尻を打つ。
ピシーッ!「アッ!」ピシーッ「アッ!」鞭で打たれる度に仰け反りながら叫ぶ膳場さん。
途中で小休止して古谷が膳場さんの髪を後ろからグッと掴む。剥き出しになる膳場さんの額。
「膳場さん。気分はどうですか?」「あああ・・・。すごく惨めな気分よ!何で私がこんな目に遭わなければならないの?」
再び鞭による責めが続く。ピシーッ!「アッ!」ピシーッ「アッ!」
鞭による責めがようやく終わった。グッタリしている(ふりをしている)膳場さん。
「もう駄目・・・。許してちょうだい・・・。」
二人は磔台から膳場貴子さんを解放する。そして床の上で仰向けにする。両手を手錠で拘束する。 膳場貴子さんの濃いマン毛がエロチックだ。 今度は國本がバイブレーターを持って来た。驚いた顔をする膳場さん。
「ちょっと、國本さん!何をする気よ!?」「さっきは苦しかったでしょ?今度はいい気持ちにさせてあげますよ。」
「嫌!やめて!」「そんな事言いながら本当は期待してるんでしょう?」
膳場さんのヴァギナにバイブレーターが挿入される。バイブが振動する。
「あああ・・・やめて!」そう言いながらも快感で喘ぐ膳場さん。振動し続けるバイブ。
興奮してずっと喘ぎ続ける膳場さん。とうとう絶頂が来た。両脚を痙攣させる膳場さん。
「あああ・・・。良かったわ・・・。」全身汗だくである。女の体臭がプーンと匂う。
膳場貴子さんの濃いマン毛がエロチックだ。
これでSMプレイがようやく終わった。古谷と國本はその場で着替える。
膳場さんは素っ裸のままヨロヨロと歩きながらシャワー室に向かった。 全身を洗って髪を整えて化粧をし直して衣装を着た膳場貴子さんが古谷有美と國本美華の前に現れる。
女性ホルモンをたくさん出したせいだろうか?驚くべき美しさである!
國本「膳場さん・・・・。お綺麗ですね!」膳場さん「あら、お世辞が上手いわね!」
古谷「いやいやお世辞じゃないですよ!本当に美しいですよ!」膳場さん「そう?ありがとう。」
二人はお世辞抜きに膳場さんの事を本当に美しいと思った。
國本「膳場さん。私たちの責めってキツくなかったですか?」
膳場さん「大丈夫よ、これぐらい。私はこう見えても大学時代は体育会系でフェンシング部にも所属してたんだから。」
古谷「そうですよね。さすが膳場さん。文武両道、才色兼備ですね!」
膳場さん「二人とも今日はありがとう。これからも時々こう言う感じでSMプレイをしましょうね。」
古谷&國本「はい。わかりました。」
高級な専用車に乗って豪邸に帰って行く膳場貴子さんを古谷と國本は尊敬の眼差しでウットリしながら見送るのだった。
(終わり) 膳場貴子さんは8月16日(土)〜24日(日)は夏休みだった。田舎の●●県にいた。
8月23日(土)の昼間。古谷有美と國本未華が膳場さんが滞在しているらしい農家を訪れる。
そこのお爺さんとお婆さんが小屋の中に案内してくれる。糞尿の臭いがする。
「ここで家畜でも飼っているのだろうか?」古谷と國本が思う。ところが二人はそこで信じられないような光景を見た。
何と素っ裸の膳場貴子さんが四つん這いになって首輪をつけられて獣のように飼育されているではないか!
「膳場さん!何をしてるんですか?」驚いた古谷が言う。しかし膳場さんは何も喋らない。
お爺さんとお婆さんが説明する。「この人は毎年夏休みにここに来て自分から望んでここでこうやって過ごすんだよ。」
「えーっ!?本当ですか!」國本が驚愕の声をあげる。「そうなんだよ。自分から素っ裸になって首輪をつけてくれと頼むんだよ。」
「嘘みたい・・・。」「そしてその間この人は何も喋らずに動物みたいにここで過ごすんだ。」 「そろそろ餌を与える時間だね。」お婆さんが洗面器に入っている餌を持って来る。
「さあ、お食べ。」素っ裸で四つん這いになっている膳場貴子さんの前に洗面器を置く。
手を使わずにその餌を食べる膳場さん。NEWS23のキャスターをしている時と全く違う雰囲気である。
呆然としてそれを見つめる古谷と國本。
お爺さんが言う。「この人も普段のストレスから解放されたくてこんな真似をしてるんじゃないのかな?」
古谷と國本がお爺さんとお婆さんがここでの膳場さんの暮らしぶりについていろいろ質問をした。
暫くしたら古谷と國本が更に信じられない光景を見てしまった。
餌を食べて満腹になった膳場貴子さんがまるで犬や猫のように地面に脱糞をしたのだ!
異臭が漂う。そして膳場さんは脱糞を終えた後に放尿までしたのだ。
「えーっ!信じられない!これがあの膳場さんなんですか?」 満腹になり、脱糞・放尿をした膳場貴子さんは素っ裸のまま犬や猫のように居眠りを始めた。
膳場さんの肛門は汚れたままである。
お婆さんが箒と塵取りを持ってきて膳場さんが出したウンコの後始末をする。
手で鼻を押さえながらそれを見る古谷と國本。もう何も言えなかった。
とりあえず8月23日(土)の夜、古谷と國本はその近くの旅館に泊まった。
翌日、その農家に行く。膳場さんは相変わらず素っ裸で四つん這い、首輪と鎖で繋がれている。
昨日と同じように洗面器に入った餌を手を使わずにガツガツと食べる。
そして昨日と同じように膳場貴子さんは地面に脱糞・放尿をする。
古谷と國本は逆にそんな膳場さんが愛おしく思えて来た。 素っ裸で首輪と鎖に繋がれて四つん這いになっている膳場貴子さん。
この一週間に膳場さんが出した糞尿の為に小屋の中に異臭が漂っている。
お爺さんとお婆さんが水道にホースをつける。そして蛇口を捻って水を出す。
素っ裸の膳場貴子さんの全身を洗う。もちろん膳場貴子さんの肛門まで洗う。
膳場さんは気持ち良さそうだ。全身がきれいになった。
膳場さんの首輪が外される。立ち上がる膳場さん。膳場貴子さんの濃いマン毛がエロチックだ。
お婆さんが素っ裸の膳場さんを風呂場に連れて行く。既にお湯が汲んである。
ゆっくりと入浴をする膳場さん。随分時間が過ぎた。
居間で古谷と國本が待っている。どうやら膳場さんは風呂から出たようだ。 脱衣場で膳場さんはバスタオルで全身を拭く。バスタオルを体に巻いて別の部屋に行く。
髪をドライヤーで乾かす。パンティを履いてブラジャーをつける。
丹念にお化粧をする。パンティストッキングを履く。ブラウスを着る。
女性用のスーツ(膝が見えるスカート)を着る。居間に現れる。
「膳場さん。お綺麗ですね!」思わず古谷が見とれる。もちろん先程までの異臭などしない。
「まあ、古谷さん。お世辞がうまいわね。」「お世辞じゃないです。本当にお綺麗です。」
國本も膳場さんをウットリした目で見つめる。
膳場さんが封筒に入った謝礼をお爺さん・お婆さんに渡しながらお礼を言う。
「どうも一週間お世話になりました。」「こんなにたくさん・・・。いつもありがとうございます。」 外には膳場さんのお抱え運転手付の高級車が待っている。
膳場さんが高級車のドアの前に立つ。驚くばかりの美しさだ。
先程まで素っ裸で四つん這いで脱糞・放尿して異臭を振りまいていた姿が嘘のようだ。
この一週間でストレス発散が出来たのだろう。
古谷と國本が惚れ惚れしながら膳場さんを見ている。
「よかったら貴方達も私の車に乗って行きなさい。」「はい。ありがとうございます!」
膳場貴子さんは高級車の中から窓を開けてお爺さんとお婆さんにお礼を言うと東京の豪邸に帰って行った。
(終わり) 膳場貴子さんが都内のSMバーに取材に行く。まずは店長と会話する。
店長がSMの話をすると膳場さんの眼が輝いていく。店長はそれを見逃さなかった。
「膳場さん。あなたはMでしょう?」「えっ!そんなまさか・・・・。」
「いやいや、眼をみればわかりますよ。今からここでSMの体験をしてみませんか?」「とんでもない!」
「アイマスクをすれば大丈夫ですよ。それにここに来るお客さんはそんな野暮な事は言いません。」「・・・・。」
鋭い事を言われた膳場貴子さんは店長に言われた通りにする事にした。
膳場さんは服を全て脱いで素っ裸になった。アラフォーらしい豊満な乳房と尻。フサフサしたマン毛がエロチックだ。
そして素っ裸にアイマスクだけつけた膳場さんがいよいよSMショーに出演する事になった。 レンガ作りの壁。いかにもSMバーと言う感じの部屋。政治家や経済界の大物達が客としていすに座っている。
素っ裸にアイマスク。そして首輪に鎖をつけられた膳場貴子さんが店長に連れられて登場する。その色っぽい身体に客の視線が釘付けになる。
壁に据え付けられた磔台。客に背中と尻を向けて磔にされる膳場さん。店長が鞭で膳場さんの背中や尻を打つ。
ピシーッ!「アッ!」ピシーッ!「アッ!」鞭で打たれる度に仰け反って大声で叫ぶ膳場さん。
ピシーッ!「アッ!」ピシーッ!「アッ!」何ともエロチックな光景だ。客の中にはそれを見て既に勃起している者もいる。
店長が膳場さんの髪をグッと掴む。剥き出しになる額。「ああああ・・・。お許し下さい。ご主人様。」
鞭による責めは続く。ピシーッ!「アッ!」ピシーッ!「アッ!」再び乱暴に膳場さんの髪を掴む店長。
「どうだ?皆さんの前で鞭で責められる気分は。」「はい・・・。とても惨めです・・・。」 鞭による責めが終わった。素っ裸の膳場貴子さんを磔から解放した店長。部屋の真ん中につれて行く。
縄で膳場さんを後ろ手に縛る。床に顔を埋めた状態にされる膳場さん。大きな尻を突き出している。
洗面器の中にはグリセリン液が入っている。浣腸器を取り出す店長。
「ご主人様。私は今からどんな目に遭わされるのでしょうか?」「見ればわかるだろ?皆さんが見てる前で浣腸するんだよ!」
「嫌!浣腸されるなんて嫌です!」「今更ジタバタするんじゃないよ!」店長が平手で膳場さんの裸の尻をパーン!と叩く。
浣腸器でグリセリン液を吸い取る。膳場さんの尻の割れ目を左手の人差し指と中指で割り開く。
膳場さんのこげ茶色の肛門が露出する。浣腸器の先を膳場さんの肛門にブスリと指す。
そして膳場さんにゆっくりと浣腸をする。「ああああ・・・・やめて下さい!」
そのエロチックな光景を見て客たちは勃起している。 浣腸が続いた。膳場貴子さんの大腸が不気味な音を立てる。グルルルゥ・・・・。
素っ裸でアイマスクをしている膳場さんの額に脂汗が流れる。もう3分ぐらい過ぎただろうか。
歯を食い縛って便意を堪える膳場さん。「ご主人様・・・。トイレに行かせて頂けないでしょうか?」
「駄目だ!ここで皆さんの前で脱糞するんだ!」そう言いながら膳場さんの豊満な尻を平手で叩く。パーン!
「そんな・・・・酷いです!」「じゃあ、この中に出すんだな!」店長は床に便器を置く。
5分過ぎた。もう膳場さんも限界だった。「もう・・・駄目!」観念した膳場さんは客に尻を向けて便器を跨ぐ。
ジャアァーッ!まずは膳場さんの肛門から茶色のグリセリン液が勢いよく迸る。そして・・・・。
ブブウゥ〜ッ!膳場さんの肛門から大量のウンコが出てくる。異臭が店内に漂う。客がそれを見つめる。
「恥ずかしい・・・!」膳場さんは顔を赤くしながら脱糞を続ける。 「何てエロチックな光景なんだ!」客の中には耐え切れずにトイレに駆け込んでオナニーを始める者もいた。
膳場さんが脱糞を終える。便器の中には大量のウンコとグリセリン液が入っている。すごい異臭。
店長はトイレットペーパーを持って来る。素っ裸で便器を跨いでいる膳場さんの肛門をトイレットペーパーで拭く。
「恥ずかしい・・・・。」膳場さんは相変わらず顔を赤くしている。
たくさんの男が見ている前で素っ裸のまま浣腸されて脱糞をする。何と言う屈辱。
だが、その屈辱が快感に変わった。 素っ裸で浣腸されて脱糞した膳場貴子さん。膳場さんが出したウンコが入った便器を女性スタッフが片付ける。
店長は膳場さんの縄を解く。だが、これで責めが終わった訳ではない。
「四つん這いになるんだ。」言われた通りにする膳場さん。アラフォーらしい熟れたエロチックな裸身だ。
「尻を左右に振るんだ。『鞭で打って下さい』と言う感じにな。」「そんな変態的な事、嫌!嫌です!」
そう言いながら四つん這いのまま豊満な尻を左右に振る膳場さん。「もっと振れ!」店長の鞭による責めが始まる。
ピシーッ!「アッ!」ピシーッ!「アッ!」ピシーッ!「アッ!打たないでーっ!」
客たちがそれを興奮しながら見ている。股間が膨らんでいる者が多い。
ピシーッ!「アッ!」ピシーッ!「アッ!」ピシーッ!「アッ!もう、これで満足してー!」
その瞬間である。膳場さんが大きな屁をした。プーッ!ニオイが充満する。
店長が笑いながら打ち続ける。「あははは!こいつぁあ傑作だ!」
膳場さんは顔を赤くしながら尻を振り続ける。 ここまでやると、訴えられるぞ。
削除依頼出しとけな。 岸井さんの解説。わかりにくいです。もごもご・・・。 (声)戦死した若者に報いるのが憲法(2015/05/08朝日新聞)無職 和田礼子(東京都 67)
陸軍知覧特攻基地があった鹿児島県南九州市を訪れた。
市内にある「知覧特攻平和会館」には、太平洋戦争末期にこの地から飛び立って戦死された若者たちの遺影と遺品、遺書、当時の飛行機の模型などが展示されていた。
実物大の飛行機はおもちゃみたいだった。ガイドさんによるとレーダーの搭載も不十分だったという。
こんなお粗末で残虐な特攻作戦を一体、誰が考え出したのか。
遺影を見て、若者たちを爆弾を積んだ飛行機もろとも敵艦に体当たりさせ、壮絶な死に追いやった軍部に怒りの涙があふれた。
幸運なことに父は戦争から復員し、その後に私は生まれた。
父が生還しなかったら、私は生まれてこなかったのだ。 団塊の世代以降の「いのち」は、戦死した方々の犠牲の上にあることを今更ながら実感する。
戦死した若者たちの「いのち」に報いるかのように誕生したのが、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定めた日本国憲法である。
とりわけ私たち団塊の世代は、今こそこの平和憲法を守らなければ、戦死した方々に申し訳が立たない。
鹿児島への旅で、改めてそう誓った。 (声)日の丸・君が代は戦争の象徴(2015/05/08朝日新聞)専門学校非常勤講師 屋比久貞雄(沖縄県 77)
東京都教育委員会が、4月の入学式で、君が代斉唱の時に起立しなかったとして、都立の特別支援学校の教員1人に対し、懲戒処分をしたという。
なんと人の心をおもんぱからない措置だろうか。世界の国々に国旗や国歌があることは承知している。
しかし、私には日の丸や君が代に対しては、複雑な思いがある。日の丸は戦時中、兵士を戦地に送り出す時に、「激励」の言葉を書き込む出征旗にされた。
君が代の歌詞は、当時、大元帥だった天皇をたたえていた。
それらは戦争の象徴として私の魂に深く刻み込まれている。
日の丸を見、君が代を聞くたびに、戦争の悪夢がよみがえる。 処分を受けた教員は、お年寄りの話や、映画や書籍から、戦争がいかに残虐非道であるかを知り、心に焼き付けているのではないか。
日の丸掲揚や君が代斉唱が、武器を持ち無辜(むこ)の民を殺すことと底流でつながっていると思ったのではないか。
そういう心情を教育委員会はくみとってほしい。
日本を海外で戦争できる国にする動きがある今、日の丸や君が代が愚かな戦争に利用されたことを思い起こすべき時ではないか。 2015年5月8日(金)朝日新聞東京版朝刊「声」欄
世界遺産 負の側面忘れないで 高校教員 藤村泰夫(山口県 55)
明治日本が近代産業国家に生まれ変わる礎になった石炭産業がある23資産が、世界文化遺産に登録される見通しとなった。
8県にまたがる日本の歴史的な遺産が世界に認められるのは良いことだと思う。
一方、韓国政府は、23資産のうちの7カ所について、朝鮮半島の人が強制労働させられた事実を無視して登録するのか、と疑問を呈した。
こうした批判は、真摯に受け止めねばならないと思う。
23資産の一つ、官営八幡製鉄所のある北九州市で、歴史教育研究集会があった。 在日コリアンの方が
「製鉄所の所にある歴史を説明したプレートには朝鮮人労働者のことが書かれていない」と発言した。
歴史の教師として胸が痛んだ。
かつて日本は朝鮮半島を植民地化した。
近代化に貢献した「資産」は、多くの朝鮮人労働者の犠牲に支えられた「負の遺産」であることも事実である。
様々な歴史上の輝かしい栄光の陰には、多くの無辜の民の犠牲がつきものであることを忘れてはならない。
日本政府や関係各県はこうした負の側面も明らかにする努力をしてほしい。 (声)首相演説、「反省」の本気度を疑う(2015/05/04朝日新聞)団体役員 棟居勇(神奈川県 79)
安倍晋三首相が、米国の上下両院合同会議で演説した。
先のバンドン会議でも同様であったが、先の大戦についてどのような歴史認識を表明するか、国内のみならず海外からも注目を集めた。
先の大戦に対して「痛切な反省をする」とは言う。
しかし「謝罪」に関しては明言を避ける。
それは「反省」についても本気度を疑わせる結果に終わるだけではないのか。 首相の発言は「歴代首相の立場を継承する」にとどまり、それ以上には踏み込まない。
「継承するのは言うまでもないが、私から改めて痛切な反省の念と謝罪を申し上げる」と言ったならば、どれだけ力を持ったことだろう。
歴史に残る発言となったはずだ。
それを欠いたことで、中国や韓国といった周辺諸国の心を少しも動かさない、価値なき発言となったように思える (声)国民は軽んじられてもいいのか(2015/05/04朝日新聞)無職 森田博信(神奈川県 63)
安倍晋三首相の米議会演説を読み、日本人として、とても寂しい気分にさせられた。
安倍首相の脳裏に、国民の存在がどれほどあるのかと思ったからだ。
安全保障の法整備について「この夏までに成就させます」「必ず実現します」と断定的な発言がなされた。
しかし、まだ国会審議すら始まっていない。「国民の総意をとりまとめるべく努力していきます」程度の控えめな表現にするべきだった。
このことは、国会審議でたとえ反対意見が出ても最終的には通ると、安倍首相がたかをくくっていることにほかならない。 それほど国会が軽視されている。
国会議員を選んだ国民も同様に軽んじられているのだ。
なぜ、このような状況が生まれてしまったのか。
昨年末の衆院選、今春の統一地方選で、投票率が軒並み戦後最低を更新するなど、国民の政治に対する無関心さと無関係ではあるまい。
国民は、主権者としてよみがえるには何をするべきなのか。
私たち一人一人が真剣に考えなければならない。 2015年5月8日付朝日新聞朝刊 未来への発想委員会 リスク社会を生きる
「主体性引き出す場、醸成を」京都大准教授 内田由紀子(うちだゆきこ)さん
(1975年生まれ。京都大こころの未来研究センター准教授。専門は文化心理学・社会心理学。著書に「農をつなぐ仕事」「『ひきこもり』考」。)
リスクを知ったうえで、様々な意思決定を行う。現代社会は、それを個人が「主体的に」行うような制度を構築してきた。
たとえば治療の効果や副作用を患者に説明して同意書を作るといった契約的手続きは、個人が主体的に選択し、責任を引き受ける力があることを前提としている。
筆者は文化心理学という研究分野で、主に日米での心のあり方の違いを検討してきたが、「個人の主体性」に基づくリスク管理は、現状の日本的メンタリティーにはうまく適合していないように感じられる。 欧米では、個人が意思決定しなければならないという意識が強い。一方で日本では、個人が確固たる「内なる主体」に従うことよりも、
「他者との調和」や「状況を読むこと」を重視してフレキシブルに意思決定を行うことが求められる。主体性は絶対的なものではなく、場面ごとに異なる形で立ち現れる。
こうした特性のルーツは、共同作業が必要な日本の農業にあるのかもしれない。(中略)
責任を引き受けられる主体を育てるために、日本においては、地域や職場のような「場」「共同体」の力をもう一度醸成する必要があるのではなかろうか。
そこに「集合的な主体」ないし「個人の主体を引き出し、受け入れる枠組み」の役割を持たせることが必要ではないか。
それには人と人をつなぎ、場の力を醸成するプロフェッショナルの育成に力を注ぐことも重要だろう。 長期的な視野 拡大する道は 津田塾大学教授 萱野稔人さん
戦後における殺人事件の推移をみると、リスクについていろいろなことを考えさせられる。
たとえば私たちは「凶悪犯罪は昔にくらべて増えている、治安は悪くなっている」と思いがちだ。
しかし、高度成長期だった1966年にどれぐらいの殺人事件が日本社会であったのかをみると、その数は2198件である(警察による認知件数、未遂を含む)。
これに対して2013年は938件だ。
この50年ほどで半数以下に減っているのである。
殺人事件による死者数の推移をみても、66年は1098人であるのに対し、13年は370人だ。 もちろんそのあいだに母数である日本社会の人口も変化した。
だから、比較のために人口10万人あたりの殺人事件による死者数をみると、1966年は1.11人であるのに対して2013年は0.29人である。
つまり、殺人事件で殺されるリスクは半世紀のあいだに3分の1以下に減ったのである。
にもかかわらず私たちは「殺人事件は増えている」と考えてしまう。
ここからリスクについて二つのことがいえるだろう。
まず、私たちはリスクを認識することが苦手だということだ。
つぎにその一方でリスクにますます敏感になっているということだ。 殺人事件が実際には減っているにもかかわらず、「増えている」と感じてしまうのは、それだけ私たちが殺人事件にさらされるリスクに敏感になっているからである。
これを専門家は「リスク社会化」と呼んでいる。
さらに、戦後における殺人事件の減少からはもうひとつ、リスクにかかわる重要な点が導きだされる。
それはかつてと比べて私たちは高いリスクをともなう行動をとらなくなっているということだ。
殺人事件を起こすということは、それが金銭目的であれ、強姦しようとした結果であれ、怒りや憎しみによるものであれ、
感情にまかせてリスクの高い行動をとることにほかならない。 信濃毎日新聞2月18日
邦人殺害口実の9条改正恐れる 中野市 浅沼健治 (農業・86)
安部首相は世論の懸念をよそに憲法9条の改正に意欲的だ。折りしも中東では、邦人2人が過激派「イスラム国」の人質になり、殺害された。
経過をトップ記事で伝えた本紙に私は連日くぎ付けにされた。
そして、邦人が犠牲になった理由を考えた。
首相が中東を歴訪した際、人道支援としてイスラム国と戦う周辺国に2億j支援を約束した。
これに反発したイスラム国は、同じ金額を要求した。
日本政府はこれに応じなかった。
安部首相の支援の表明が悲劇を招いたとの指摘がある。 首相の支援表明は、邦人がイスラム国に拘束中であることを承知で行われたが、情勢分析の甘さが感じられてならない。
さらに、人質の解放交渉をイスラム国と激しく対立するヨルダンに託したことは、事態を一層悪化させたと思う。
イスラム国が 「日本人を標的にしたテロを続ける」と予告した事実は、それを如実に示している。
このたびの事態が9条改正の口実にされ、同胞が危険にさらされることを何より恐れる国民の一人である。 対比1 2月21日付東京本社版
一度は国民の手で憲法改正を 無職 石原豊(埼玉県 87)
「武力は平和と安定に役立たない」(1月21日)を読みました。
「武力では何も解決せず、人の命が奪われ続けることを示している」という主張には賛成です。
しかし、「私たちの一番の誇りは、戦後一度たりとも他国と戦争をせず、
他国の人を傷つけることがなかったことだ」は疑問です。
戦争をしなかったのは、その通りです。
しかし、それは日本が米
国の核の傘で保護される体制になっており、外国が米国の力を恐れたために平和が保たれたのではないでしょうか。 現憲法の下で、日本は米国と安全保障条約を結びました。
ただ、憲法は実質的に戦勝国の米国に与えられたものです。
戦勝国が日本を拘束しているのは、日米地位協定や沖縄の基地の状況からも明らかです。
その拘束から逃れるために、私は憲法改正は必要だと思います。
こなれない日本語でつづられた前文を廃止してはどうでしょうか。
条文は同じでもかまいません。
日本が目指す理念を新たな前文にしてもいいでしょう。
平和の象徴である日本国憲法を心から誇れるものにするために、一度は国民の手で改正手続きを経るのがいいと考えます。 対比2 2月21日付東京本社版
護憲ならば国民守る策を示して 会社員 渡辺真朗(愛知県 56)
安全保障法制に関する与党協議が始まり、憲法改正が現実味を帯びてきた。
安全保障については、政府が一番の責任を負うことは言うまでもない。
選んだ国民にも責任はある。
ただ、責任の重さにおいて、政権以下だが一般国民以上だと私が考える人がいる。
護憲派の政治家や学者、実務家、メディア関係者など、護憲を「商売道具」とする人たちだ。 しかるに彼らは、その責任をどれだけ果たしてきたのだろうか。
単に戦争反対を叫び、憲法改正論議の入り口に立ち塞がってきただけではないか。
「9条で平和を守れる」「改憲論者は戦争したい人たち」と画一的な論法を押し通してきた。
そのことが現政権に改憲の高いハードルを回避させ、閣議決定による集団的自衛権の行使容認という安易な道を選ばせたとはいえないか。
論点は、改憲に賛成か反対かではない。
国民を守る上で、最もリスクの低い具体策は何かということだ。
その提案がない批判に説得力はない。護憲を主張してきた方々に、今こそ出番だとエールだけは送ろう。 世界が語る神風特別攻撃隊−−−カミカゼはなぜ世界で尊敬されるのか 吉本貞昭著 ハート出版「はじめに」より
本書は、大東亜戦争末期、必死必殺の特攻兵器をもって国家の危急を救わんとした、殉国の血潮に燃えた青年たちの勇気と自己犠牲の記録である。
日本は昭和16年12月8日、自存自衛と大東亜共栄圏の理想を実現するべく日本を戦争に追い込んだ欧米諸国に立ち向かった。
白人不敗の神話を崩壊させた日本軍はわずか半年余りで東南アジア全域を西欧列強の植民地支配から解放した後、各地に独立義勇軍を結成して軍事訓練を施し、
敗戦後に展開された「第二次大東亜戦争」ともいうべき民族独立運動に契機を与えていく。
だが、開戦以来、武運に恵まれていた日本軍も、米軍の反撃の前に次第に守戦に立たされるようになっていった。 この時、劣勢な戦局を挽回するために、敵艦船に対する熾烈な特攻攻撃が展開された。
戦後の日本では「特攻を最大の罪悪と見立てて、絶対服従を強要する上司の命令のために、いやいやながら死んでいった将兵たち」という誤った見方が生まれ、
彼らを哀れな戦争被害者とする風潮があったことは実に残念なことである。
米・英・仏などでも、神風特攻隊に関する書物が数多く刊行され、高い評価を与えているにもかかわらず、
「かつて味方であった日本人が味方であった日本人を愚弄したり、嘲笑している」のが戦後の日本の特徴であると言ってもいいだろう。
特攻の真相はそのようなものではない。 戦没海軍飛行予備学生の遺族会の理事長杉暁夫氏は次のように語っている。
「私達の常識ではとても想像もつかないような完全な”滅私”を神風特攻隊員の一人一人が実践してみせたのである。」
「ただ一途に、祖国の危機の前に敢然と立ち向かった若い特攻隊員達の悠久の偉功を決してないがしろにしたはならない。」
「ただ一途に、祖国の危機の前に敢然と立ち向かった若い特攻隊員達の悠久の偉功を決してないがしろにしてはならない。」
ビルマ初代首相のバー・モウも「特攻隊は世界の戦史に見られない愛国心の発露であった。
今後数千年の長期にわたって語り継がれるに違いない。」と述べている。
特攻こそは、欧米諸国の植民地化を恐れた殉国の血潮に燃えた青年たちが劣勢な戦局を挽回するために行った愛国心の発露だったのである。
また、実際の戦果も戦後米軍が公表したものよりも遥かに大きなものだった。 終戦後、GHQは占領政策の一環として、日本改造計画(憲法改正、社会システムの改造、歴史の改竄等)を実施したが、
幸いにも日本が固有の領土のほとんどを保全でき、分割占領にもあわず、国体を保持できたのは、まさに天佑だったと言わねばならないだろう。
著者は天佑神助とも思われる終戦を招来できたのは、まさに神風特攻隊の影響だったと思っている。
戦後67年もの長きにわたって日本が平和を維持できたのも憲法九条のおかげではないし、日米安保のおかげでもなく、
神風特攻隊の脅威が周辺諸国に抑止力となって働いていることにあると思っている。
このことは、連合国軍に与えた特攻隊の物資的、心理的効果を見れば明らかであろう。
英国の歴史家H・G・ウェルズが「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種の平等をもたらし、世界連邦の基礎を築いた。」と述べているように、
著者は大東亜戦争は戦後のアジア、アフリカに多くの独立国家を生み出す契機を与えた戦争だったと思っている。 戦後の日本は、戦いに敗れたとはいえ、西欧の植民地支配を崩壊させて世界史の流れを大きく変えたという誇りが全く欠けている。
大正10年から昭和2年にかけて日本駐在仏大使を務めた、ポール・クローデル(劇作家、詩人)が、昭和18年秋に、パリの夜会のスピーチを述べているように、戦前の日本は、外国人から賞賛されるほど尊い国であった。
私がどうしても滅びてほしくない一つの民族がある。それは日本人だ。
あれほど古い文明をそのまま今に伝えている民族は他にはない。
日本の近代における発展、それは大変目覚しいが不思議ではない。
日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治に入り、欧米の文化を急速に輸入しても発展できたのだ。
どの民族もこれだけ急な発展をするだけの資格はない。しかし、日本にはその資格があるのだ。
古くから文明を積み上げてきたからこそ資格がある。彼らは貧しい。しかし、高貴である。
現代の日本に、命を賭けてでも護らなければならない価値が果たして存在するだろうか。 数年前から、食品偽装問題、凶悪事件の頻発、年金記録の改竄、公務員、政治家の不祥事などが起こり、日本人のモラルの崩壊が叫ばれるようになってきたが、
このように退廃した国を、誰も、一身を捧げてまで護りたいとは思わないだろう。
今年再び北朝鮮による弾道ミサイルの発射実験が行われたが、事前に予告されていながら、発表が大きく遅れるという、まさに平和ボケ国家の失態を演じて見せた。
これがもし、予告なしの核攻撃だったら、地震よりも深刻な事態に陥ったことは明らかである。
こうした日本の危機の奥底にあるのは、「日本人の精神の危機」であることを強く認識すべきであろう。
では、このような「日本人の精神の危機」を克服するには、どうしたらよいだろうか。 それには、まず日本人が大東亜戦争と神風特攻隊を、単なる戦争であるとか、単なる美談と見るのではなく、
かつて日本は西欧列強に対して捨身の一撃を加えてアジアを西欧の植民地支配から解放した国であること、
そして日本に天佑神助をもたらした神風特攻隊に対して、もっと大きな自身と誇りを持つことが大切である。
さらに日本人が、このように世界から高く賞賛された大東亜戦争と神風特攻隊の世界史的意義を再評価し、
東京裁判がもたらした誤った歴史認識から脱却することが重要である。
もし日本人にそれができたならば、再び日本が困難に直面しても、かつての神風特攻隊員のように、
日本を護るために、いつでも死ねる覚悟と勇気を持った者が現れてくるはずである。 特攻隊の善悪について色々な意見が出ておりますが、当時の日本は欧米の植民地にされる恐れがあったわけです。
植民地になれば道端を歩いている女性を強姦するのも自由、ちょっと優秀な人材が出てくると両手を切断。
オランダ統治下のインドネシアの平均寿命は35歳ですよ。日本が欧米の植民地になって自分の妻が娘が、そんな事になるのを見て耐えられますか?
私には無理です。そのような状況下ですから、家族を、国を守りたいと思って出撃されたのではないかと思います。
別に美化しようとか、神様にしようというのではありません。
戦争も悪いことに決まっています。ただ、日本人として、日本のために死んでいった英霊には感謝すべきではないですか?という事です。 日本が初めて特攻をしたのはサイパン島陥落がきっかけです
フィリピンにおられた大西中将がこのままでは日本本土が直接やられてしまう。
アメリカの歴史を見てもインディアンをはじめとする勇敢な戦士達が彼らに敗れ征服されてしまった、このままでは日本も同じ道をたどってしまう。
だがその時フィリピンにあった兵力は40機の戦闘機だけでした。
ここで出来るだけ食い止めるには爆弾を抱えて体当たりし確実にアメリカを食い止める他無いと考えました。
その時この作戦を提案した後すぐ全員が挙手しやらせてくださいと志願したという。
そしてその作戦を決行すると決定したとき大西中将は戦争は続けるべきではない、だがこのままでは日本がアメリカに征服されてしまう。 だがここで私達がアメリカを食いとどめることにより日本本土が守られるかもしれない。七分三分の講和にでも持ち込めるかもしれない。
そうすればいつの日かきっと日本は復興するだろうと語っていらっしゃいます。
そして日本で初めての特攻作戦が決行されました。
苦渋の決断だったと思います。
ですが国を守るため国の未来のために戦ってくださった方をそういう風に発言するのは私はあまりよろしいとは思えません
間違っているとすれば特攻を考えた人が許されないのではなくこの作戦をこれだけで終わらせず続けさせた人間が許されないのだと思います。 「戦争自由国家」になってしまう 作家 森村誠一(東京都 82)
安倍政権の暴走は加速の一途をたどっている。
憲法9条を無視して、自衛隊を事実上の「日本軍」にしようとしている。
いつでも、地球上のどこにでも戦争の時空を拡大して「戦争自由国家」に拡大したいようだ。
この方針には、憲法のために国があるのではないという考えが透けて見える。
9条がなぜ生まれたのかを思い起こしたい。多数の国民を失い、国民ひとりひとりの人生を破壊
し、
日本全土を焦土と化した戦争を二度と繰り返さない決意が、9条を生んだのだ。 それを、あろうことか一内閣が、他国の軍事的脅威に対応するためと称してこっかの最高法規を解釈改憲で変えようとしている。
それは当然、日本がかつて侵略した国家に不信感を生む。
潜在的な仮想敵国の日本への敵意をあおる。
軍国主義国家として悪名高かかった日本が永久不戦を世界に宣言した事実を立法府も忘れ、
国民の反対を押し切って、最高法規である憲法に平然と違反することをしようとしている。
いまの政権は、大量殺人を犯そうとしている。
それを阻止することが、国民の代表の役目のはずである。 介護の相談職も働く環境改善を 社会福祉士 加藤利枝(三重県 52)
介護保険制度がスタートした15年前から、在宅担当の介護支援専門員として一線で働いてきた。
今月末で退職するが、やりがいのある仕事を離れる寂しさとともに、多忙で責任の重い毎日から解放される安堵感があるのは否めない。
この15年、身寄りのない高齢者の救急搬送に付き添い、夜中に帰宅したことも何度もある。
休日、家族との旅行中に緊急連絡の電話が鳴るのは当たり前。
行政や医療機関が連休の時期は、無事に過ぎることを祈った。
事故や病気は待ったなし。24時間365日、仕事が頭から離れない日々だった。 介護報酬改定で介護職員の待遇改善が話題に上るが、利用者の相談を直接受ける介護支援専門員等の相談職は対象ではない。
相談業務は利用者と一対一の関係が基本なので、担当者しか対応できない場合も多く、負担が個人に集中しがちだ。
介護支援専門員は制度の要と言われたが、実際は離職する人も多くベテランが育ちにくい。
これで超高齢社会を乗り越えられるのだろうか。
介護職のみならず、相談職が質の高い支援を息長く遂行できるよう、休日に代わりの人が担当できるような業務環境の整備を早急にお願いしたい。 ハンセン病の歴史を知ろう 塾講師 平石綾香(千葉県 23)
宮城県登米市の国立ハンセン病療養所「東北新生園」を訪問し、入所者の方のお話をうかがった。
訪問前、ハンセン病について本で勉強した。
それまで私の知識は、ハンセン病は皮膚が侵される病気ということぐらいだった。
しかし本を読み、入所者の話を聞き、ハンセン病患者の悲惨な歴史に驚いた。
ハンセン病は非常に感染力が弱い病気なのに、患者は法律によって強制的に隔離され、療養所に送り込まれたという。
さらに信じられないのは、戦後の新憲法の下でもなお法律による差別は続き、平成になってやっと法律が廃止されたという事実だ。 このような国家的差別が近年まで続いていたのに、この事実を知らない人は少なくないのではないか。
二度とこのようなことがないようにするためにも、まずは事実として歴史を知ることが大切だ。
ハンセン病療養所はどこも高齢化が進んでおり、入所者の数は減っているそうだ。
危惧しなけえrばならないのは、入所者が減ることでこの問題が忘れられていくことだろう。
私たちは、この国家的差別についてもっと考えていくべきだと思う。 朝日新聞 声
ごみを放置しておいていいの?(2015年5月11日). 主婦 滝谷美佐保(埼玉県 72)
私は、近所に数棟あるアパートの周囲を掃除するのが好きなのですが、
私が住む地域にもごみを分別しないまま出す人がいます。 (声)学校で戦争の負の部分教えよう(2015/05/11朝日新聞)無職 坂本直彦(神奈川県 78)
安倍晋三首相の戦後70年談話に「侵略」や「おわび」という言葉を入れるかどうかが問題になっています。
私は言葉以前に、もっと大切なものがあると感じています。
学校における歴史教育です。学校では、第2次世界大戦の負の部分はあまり教えられていないように思います。
特に近隣諸国への侵略などについて触れられていないと感じます。
ドイツの例を見るまでもなく、負の部分に光を当てて過去を反省してこそ、世界に認められ、過ちを繰り返さない日本になると思います。 そのためには、学校教育の場で子どもたちに正確な歴史を教えなければなりません。
そうでないと「侵略」「おわび」の言葉が必要かどうかすら判断できないでしょう。自虐史観と言われるかもしれません。
しかし、負の部分を避けないことこそ、日本人が積み重ねてきた平和の実績を汚さないことだと思います。 (声)米軍管制空域が開放されれば(2015/05/11朝日新聞)団体嘱託 各務二男(岐阜県 65)
北海道から沖縄まで、国内には米軍が使用できる施設が結構な数あります。
専用基地や自衛隊との共用基地、一時使用可能基地を加えると、その数は130余。
首都圏だけを見ても、東京・南麻布にはニュー山王ホテルのように米軍関係者のみが利用できる宿泊施設や、多摩地域には米軍専用のゴルフ場さえあります。
さらに空に目をやれば、東京の米軍横田基地の上空を中心に神奈川、静岡から新潟県まで1都8県に及ぶ米軍の管制空域が広がります。
このような米軍の空域は全国に散在しています。
当然そうした空域は許可がないと民間航空機は飛べません。 遠回りでもそれを迂回(うかい)して飛んでいます。
もしその米軍の管制空域が日本に開放されたら、民間航空機の安全性や飛行ルートの効率化は大きく改善されるそうです。
また米軍機は、航空法による最低安全高度規制の適用がありません。
ですから市街地であっても遠慮なく飛ぶことができます。
こうした管制空域を含めた米軍基地の問題は、沖縄だけの問題にせず、国民全体でもっと考えたいものです。 (声)自分を肯定できる生き方が大切(2015/05/11朝日新聞)精神保健福祉士 佐藤秀一(秋田県 47)
「『国立大卒でその仕事』に憤慨」(4月19日)を読んだ。
私も同感で、同じような経験がある。国立大卒で高校教員をしていた。
しかし、体調不良で退職した。周囲から「もったいない」と何度も言われ、自己嫌悪や人間不信に陥った。
教育関係者からも何度も言われ、人と話すのが本当に嫌になった。
いまは精神保健福祉士として医療機関に勤務し、社会活動も無理のない範囲でしている。 結局、日本人の多くは学歴や職業で人間を評価し、自分の価値観で人を決めつけるのだと感じている。
もったいないかどうかを決めるのは本人で、そもそも人生にもったいないことなど何一つないのではないか。
その人らしい生き方が大切で、自分で自分を肯定できればそれでよい。 声)働きながら子育てできるの? 【名古屋】. 主婦 山口直子(静岡県 41)
私は子供3人を抱え、学校行事にも参加しながら、パートをしていた。
幼稚園児の末っ子は、長時間、留守番はできない。
また、実家は遠く、子育てを頼れる人はいない。 声)投票率アップへ知恵を絞ろう(2015/05/12) 無職 村木源三(東京都 80)
昨年の衆院選の投票率は、戦後最低を記録した。
そして、今春の統一地方選でも戦後最低の投票率を記録したところが相次いだ。
民主主義の危機に直面していると考える。
投票率を上げるための対策が必要だ。 2015年05月15日朝日新聞 (声)
医師と率直に話し合うのが大切. 開業医 遠藤剛(福島県 56)
「セカンドオピニオンは大切だ」(4月30日)を読んだ。
日本には「主治医に嫌われるのではないか」と思う患者さんが少なくない。
医師と信頼関係が築けず、他の医師を探す目的でセカンドオピニオンを受けたいという人もいる。
いずれにせよ、患者さんにとって大事なことは、よい医師さんに出会うことだ。 2015年05月15日朝日新聞 (声)
教科書検定、抜本的に見直しを(2015年5月14日). 元高校教員 綿引光友(神奈川県 68)
教科書検定の審議に関わった上山和雄・国学院大学教授へのインタビュー「教科書検定『密室』の内側」(4月24日朝刊)を読み、
1949年発行の文部省教科書「民主主義」(下)を思い出した。
中学・高校用の社会科教科書で、戦前の教育を反省し、こう書かれている。
「政治によってゆがめられた教育を通じて、太平洋せんせおうを頂点とする日本の悲劇が着々と用意されていった。」
「ときどきの政策が教育を支配することは、大きなまちがいのもと。」
「教育の方針を政策によって動かすようなことをしてはならない。」 このたび発表された教科書の検定結果を見ると、「政治によってゆがめられた教育」の再来ではないかと憂慮している。
戦前に「日本は神の国」と書かれた教科書で学んだ子どもたちが、戦後一転、教員の指示で教科書に墨を塗った歴史を再び繰り返してはならない。
上山教授が「両論史観」の立場で述べているように事実を大切にし、日本がしてきた良いことも悪いこともバランスよく記述する教科書が必要だと思う。
情報公開が進んでいる現在、非公開審議で合否が決まる教科書検定制度でよいのだろうか。 2015年05月15日朝日新聞 (声) 罰金に頼らず議論をしよう. 無職 松坂年造(愛知県 68)
日本は街中にごみが少なくてきれいだ、と海外からの旅行客に評判がいいようです。
しかし、ごみのポイ捨てはなくなりません。
私は朝の散歩にポリ袋を持って出ます。 朝日新聞 声
戦争行為を容認する安保法制(2015年5月15日) 無職 岸伸輔(栃木県 75)
安倍政権は安全保障法制の関連11法案を閣議決定した。
自衛隊の海外活動を大幅に拡大するという。
日本が戦争に近づいていくかのようで、危機感を覚える。
「集団的自衛権の行使」が安保法制の大きな柱だという。
安倍晋三首相はその例として中東・ホルムズ海峡での機雷掃海をあげた。
機雷を敷設する国としてイランが想定されているという。。
だが、イランがそんなことをすれば米国と軍事衝突し、国の生命線である石油の輸出ができなくなる。
そこまで愚かな国とは思えない。
安倍首相の主張は、法案を正当化するための方便ではないだろうか。 「政争の具にしないで」 NPT文書素案、被爆地から反発(2015/05/14朝日新聞)
米ニューヨークで開催中の核不拡散条約(NPT)再検討会議で議論されている、核軍縮を扱う最終文書の素案第2稿で、
世界の指導者らに被爆地を訪ねるよう提案した部分が削除された。
12日に各国に示されたもので、中国が削除を求めたことを認めた。
被爆地からは反発や不満の声が上がっている。・・・長崎市の田上(たうえ)富久市長は13日、
「被害の実相に触れ、非人道性を深く理解することは核兵器をめぐる議論のスタート。
被爆地訪問は的確な提案だ」とするコメントを出した。 田上市長は1日の会議での演説で、核保有国に対して「各首脳は被爆地を訪れて『被爆の実相』を自分の目で見てください」と求めていた。
オバマ米大統領に対しても、被爆地訪問を求める要請文を在日米大使館を通じて提出している。
広島市の松井一実市長は13日、報道陣に対し「広島の思いを政争の具とせず議論を進めてほしい」と述べた。
中国が削除を求めたことを「被爆者の切なる願いを全く理解しない対応」と批判した。 オスプレイ―負担「純増」の横田配備(2015/05/13朝日新聞)
米空軍の新型輸送機オスプレイが、東京の空を飛ぶ。
米国防総省が、空軍の特殊作戦部隊が使うオスプレイ10機を横田基地(東京都福生市など)に配備すると発表した。
17年後半に3機、残り7機は21年までに配備を完了する。
米軍のオスプレイは現在、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に24機配備されている。
本土へのオスプレイ配備は初めてで、中谷防衛相は低空飛行や夜間飛行訓練の実施に言及した。
・・・その意味でも、唐突な通告で横田配備を決めてしまった日米両政府の姿勢は容認できない。 日本政府はこれまで横田への配備を否定してきており、住民にとっては、まさに「寝耳に水」だったに違いない。
普天間でも日本政府はオスプレイが来ることを否定し続けたが、結局、配備されることになった。
誠実とは言えない姿勢が地元の不信を買ったうえ、日米間で合意したはずの飛行ルールが守られていない実態もあり、
その後の強い反対運動につながっている。 塾講師、休めず残業代出ず 教育ブラックバイト、大学生被害 寝坊「60万円払え」(2015/05/13朝日新聞)
塾講師や家庭教師として働く大学生の間で、休めなかったり、残業代が出なかったりする「教育ブラックバイト」の被害が目立つ。
業者によっては違法な契約を結ばせているところもあるという。
学生には、受験勉強でなじみの深い世界だが、注意が必要だ。 少年法と年齢―引き下げる時ではない
2015年5月17日(日)付
少年の犯罪や非行についての手続きを定める少年法の対象を引き下げるかどうか。自民党内で議論が進んでいる。
20歳未満とされているのを、18歳未満とする案である。今の国会で公職選挙法が改正され、18歳から投票できる見通しとなったのがきっかけだ。
「18歳で投票の権利をもつ以上、義務や責任も担うべきだ」という声は小さくない。
重い罪を犯しても、少年法の対象なら名前や写真の報道が禁じられることへの批判も出ている。
親などの同意なしで契約をかわせる民法の成年年齢なども合わせて、検討中だ。
しかし、本人の立ち直りを重んじる少年法の対象をどこまでとするかは、社会が犯罪とどう向きあうかという問題である。 罪を犯した若者の更生を促し再犯させない社会にする観点が不可欠で、投票年齢引き下げの勢いで議論することではない。
若い世代の犯罪や非行の背景には生い立ち、家族関係など、本人にはどうしようもない事情が横たわっていることが多い。
少年法の特徴は、警察が捜査した事件がすべて家裁に送られ、事件の背景や家庭環境などを調べる点にある。
刑事責任が問われる14歳以上の場合、その上で、家裁の少年審判を受け、保護観察、少年院などの保護処分になることもあれば、刑事裁判を経て少年刑務所に行く刑事処分もありうる。
より広い選択肢から、本人に合ったものにする利点がある。
刑事処分の方が、自由が奪われる期間は短いこともある。一方、刑務所より教育的な環境の少年院で、じっくり自分と向き合う方が更生につながることもあるだろう。 18、19歳といえば、見た目は大人に近いかもしれないが、内面は未熟で不安定なこともある。成長の個人差も大きく、選択肢は多い方がいい。
18、19歳の犯罪が増えているわけでもない。刑法犯となる件数は、03年の約2万9千人から13年の約1万1千人と、むしろ大きく減る傾向にある。
また、重い罪を犯した場合、少年法の対象とはいえ18、19歳の扱いは成人にかなり近くなっている。
犯罪時点で18歳未満なら死刑は無期刑になり、無期刑も減刑されうるが、18、19歳にはこの緩和はない。
「人は変われる」との立場にたつ少年法の理念は本来、大人にも生かされるべきものだ。
対象を絞り込むよりむしろ、その理念を成人の刑務所での処遇や保護観察にも広げることに目を向けるときではないか。 スポーツ庁―五輪庁で終わらせるな
2015年5月17日(日)付
身近なスポーツを取り巻く環境は、どう変わるのだろう。
スポーツ庁が10月に誕生する。文科省の外局に置かれ、各省庁に分散していたスポーツ行政を束ねる司令塔としての役割が期待される。
2020年東京五輪・パラリンピックの招致成功が追い風になった。
日本オリンピック委員会(JOC)はじめ、競技団体は意気が上がる。
東京五輪では金メダル数で世界3位をめざせ、と国にハッパをかけられ、すでに五輪競技の選手強化費は今年度63億円と、前年から22億円も増えた。
JOCは五輪までの6年間で800億〜1千億円の強化費が欲しいと、国に要望もした。
ちょっと、待ってほしい。 メダルラッシュは喝采を呼ぶだろうが、創設されるのは五輪庁ではない。
ピラミッドに例えるなら、頂点のトップアスリートだけでなく、障害者スポーツを含め、幅広い国民がスポーツに親しめる環境作りが理想の姿。
バランスが大切だ。
予算が膨らむ頂上に比べ、裾野の環境はお寒い。国内の公共スポーツ施設は1996年の約6万5千カ所から12年間で約1万2千カ所も減った。
毎年1千カ所が消えている計算になる。
市町村の合併、人口減の影響もあるが、地方財政が悪化し、老朽化したまま閉鎖するケースがある。
そうした右肩下がりの流れは止まりそうにない。
五輪選手の躍動に感動し、自分もやりたいと少年少女が思い立っても、近所に施設がなければ願いはかなわない。
膨大な五輪投資をする意義が薄れる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています