>>147
やっと帰宅したよ〜

時代による命の重さの変化は別として、「サムライ」を理想の人間像とする道徳観は、すべての日本人にちゃんと受け継がれていると思います。
「そんなこと日頃考えてないよ」って思う人が多いかもしれませんけど、その理由の一つは「サムライ」がどういうものかをほとんどの日本人はよく知らないということです。
外国人の方がよく知っています。なので外国人は「サムライ」を畏敬の念で見ており、恐るべき存在なのです。
もう一つの理由は、「サムライ」「武士道」といったものを、その概念、重要性は(無意識で)理解しているのに、実行するモティベーションが近年は圧倒的に下がっているということです。

上記2つの理由とも、根本的には敗戦によりそれまでの人生哲学が否定され、またアメリカの占領政策、その後の日本人を長きにわたってマインドコントロールする政策もあって、時代とともに価値観の多様化、西洋化が急速になされていったところに起因します。

要するに目指す目標が曖昧になり、それを実行する動機、理由も曖昧になり、ゆるくなったということだろうと思います。

「サムライ」ってどういうものだったか、調べればすぐにわかりますし、本質的なことにも容易に気付かされます。
ほとんどの人がそれをやらないだけです。
知る必要性を感じてないからです。子供の頃からテレビで時々見て、知っているつもりになっているだけなんです。

少し勉強するだけで、男も女も、自分が目指すべきは実は「サムライ」だったのだと、気づかされます。「武士道」とはそれほど生活に密着した基本的な振る舞いなのです。