作者より
古屋 うんこ≠ニいう言葉には、何千という繰り返しに耐えうる強度があるんです。むしろ反復するほど一種のトランス状態に突入する。音楽でいう「ミニマル・ミュージック」に近いものがあると言えるのではと。
―― つまり、反復によるうんこ≠フ脱構築が生じた、と。
古屋 はい。繰り返しと共に、本物のうんこ≠ニいう物体が徐々にリアリティを失って概念化していくというか。そして反復が生み出すある種の中毒性が、「繰り返し書く」「書かないと覚えない」という漢字ドリルと色々な意味で親和性が高かったのだと思っています。
―― たとえば、それは「うんち」ではダメだったのでしょうか。
古屋 話になりません。言葉のオーラが違う。弱々しく、頼りない。軟便という限定的な印象も与えてしまいます。
―― カタカナで「ウンコ」も?
古屋 ありえません。うんこ≠ニいう言葉のみが持つ魔法がある。うんこ≠セけが秘めることを許された文学性があるわけです(笑)
斎藤は文学だった……?