僕は「本当の自分」とか「本当の自分の欲望」みたいな話は「積極的な意味では」認めておりません。
消極的な意味で、例えばLGBTな遺伝傾向を持つ人が異性愛環境に慣れずにどうこうって話から「本当の自分」を言い出すのは 妥当な議論だとは思いますけども、
何らかの廻りの環境とは無縁な「本当の自分それ自体」が有るって言うのは先の消極的な議論を取り違えているだけだとは思うんですよね。
何らかの神のように自律的な存在として本当の自分があるわけでは全くない。
とはいえ、先の消極的な「本当の自分」が辛うじて成り立つように、
やっぱり単なるクソゲーをそれでも周りに合わせて褒めなきゃいけないとか、
或いは周りの評価に踊らされていたけど、この作品はあまり面白くなかったといったように、
人は完璧に 周囲のクラスタの操り人形に慣れるわけがない。
そうならそうでクソゲーやっていても楽しめるはずなんですけどね。
だからエロゲオタとしては「自分の好き」とか「自分のエロ」を「意識的に好きであり続けるような」緊張と努力とその言語化がこれまで 以上に必要になるんじゃないですかねえ。
別にそれを怠っても良いんですが、そういうことをやるとマジでクソゲーでも別に良いじゃんっていう酷い人生になりますし、
自分の「好きな正妻」をきちんと意識的に決めておけば「逆NTR]や「誘惑エロゲ」の 快感も大きくなるんで良いじゃないですがグヘヘ(終