吾輩が最後につまみ出されようとしたときに、
この家うちの主人が騒々しい何
だといいながら出て来た。
下女は吾輩をぶら下げて主人の方へ
向けてこの宿や
どなしの小猫がいくら出しても出しても
御台所おだいどころへ上あがって来て困りますという。主人は鼻の下の黒い毛を撚ひねりながら
吾輩の顔をしばらく眺ながめておったが、
やがてそんなら内へ置いてやれといったま
ま奥へ這入はいってしまった。主人はあまり口を聞かぬ人と見えた。
下女は口惜くやしそうに吾輩を台所へ抛ほうり出した。かくして吾輩はついにこの家うちを自分の住家すみか
と極きめる事にしたのである 吾輩の主人は滅多めったに吾輩と顔を合せる事がない。
職業は教師だそうだ。学校から帰ると終日書斎に
這入ったぎりほとんど出て来る事がない。家のものは大変な勉強家だと思っている。
当人も勉強家であるかのごとく見せている。しかし実際はうちのものがいうような
勤勉家ではない。吾輩は時々忍び足に彼の書斎を覗のぞいて見るが、彼はよく昼寝ひるねをしている事がある。
時々読みかけてある本の上に涎よだれをたらしている。彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色たんこうしょく
を帯びて弾力のない不活溌
ふかっぱつな徴候をあらわしている。
その癖に大飯を食う。大飯を食った後あとでタカジヤスターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろげる。二三ページ読むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。
これが彼の毎夜繰り返す日課である。吾輩は猫ながら時々考える事
がある。
教師というものは実に楽らくなものだ。
人間と生れたら教師となるに限
る。
こんなに寝ていて勤まるものなら猫にでも出来ぬ事はないと。
それでも主人に云わせると教師ほどつらいものはないそうで
彼は友達が来る度たびに何とかかんとか不平を鳴らしている。
吾輩がこの家へ住み込んだ当時は、主人以外のものにははなはだ不人望であった。
どこへ行っても跳はね付けられて相手にしてくれ手がなかった。
いかに珍重されなかったかは、今日こんにちに
至るまで名前さえつけてくれないのでも分る。
吾輩は仕方がないから、出来得る限り吾輩を入れてくれた主人の
傍そばにいる事をつとめた。
朝主人が新聞を読むときは必ず彼の膝ひざの上に乗る。彼が昼寝をするときは必ずその
背中せなかに乗る。
これはあながち主人が好きという訳ではないが別に
構い手がなかったからやむを
得んのである
。その後いろいろ経験の上、
朝は飯櫃めしびつの上、夜は炬燵
こたつの上、
天気のよい昼は椽側えんがわへ寝る事とした。
しかし一番心持の好いのは夜よに
入いってここのうちの
小供の寝床へもぐり込んでいっしょにねる事である。
この小供というのは五つと三つで夜になると二人が
一つ床へ入はいって一間
ひとまへ寝る。吾輩はいつでも彼等の中間に己
おのれを容いるべき
余地を見出みいだしてどうにか、こうにか割り込むのであるが、
運悪く小供の一人が眼を醒さますが最後大変な事になる。小供は――
ことに小さい方が質たちがわるい――猫が来た猫が来たといって夜中
でも何でも大きな声で泣き出すのである。
すると例の神経胃弱性の主人は必かならず眼をさまして
次の部屋から飛び出してくる。
現にせんだって
などは物指ものさしで
尻ぺたをひどく叩たたかれた。