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アダムとイブがエデンの園から追放されたのは、彼らが服従しなかったからだ。だが私は彼らを誇りに思っている。なぜなら、彼らは私たちの祖先だからだ。彼らはほんとうに人間としての尊厳を示した。
彼らは自分の知性に反しないために、神にさえ逆らうという度胸(ガッツ)を持っていた。それはもっと賢くなろうとする知性的な努力だった。

叡智については、あなたは知恵の実を食べた。それはとても象徴的だ。それはあなたがすでに知恵をもっているということを暗示している。
だがすべての宗教は、あなたにそれを使わせまいとしている。彼らはあなたに、イエスが水の上を歩いたなどという、あらゆるたぐいのナンセンスを強引に信じ込ませようとする。だから何だというのか?

人間は知識の樹の実を食べてしまった。彼は知恵の源泉で酔っ払ってしまった。宗教は彼がその力を使うのを防げようとしている。彼らはアダムとイブを防げた、その同じ神からの使者なのだ。
これらの使者が人間を無知なままにとどまらせた。あらゆる人間を無知なままにとどまらせた。なせだろう?
 なぜなら、人間が無知であれば、彼らを簡単に奴隷にできるからだ。もし人々が無知でなかったなら、彼らは自分が「個」であることを主張しはじめる。
彼らは自由を要求しはじめる。彼らは自分自身でいたがり、自分のことをしたがる。彼らは歯車になりたがらない。
 政治的指導者と宗教的指導者とは共謀している。宗教的指導者は、人々がもっと知性的になれば、自分たちがどんな答えももち合わせていないようなことについて訪ねるのではないかと恐れている。
政治的指導者たちも、あなたが知性的になることを恐れている。なぜなら、彼らは今までずうっとそうしてきた方法では、あなたをだますことができなくなるからだ。彼らはたんに約束するだけで、けっしてその品物はとどけない。

和尚ラジニーシの「反逆のスピリット」
https://note.com/zenika/n/n608cbd2a3b97