次に死ぬ事は怖くないとの事だが、正直、一番のワシにとっての快楽だと思う。
そりゃ、天神川の大ケガがなく、安定した又は、自営業でも、利は薄くとも
安定した職でもあり、ベッピンの嫁はんでもいたら、私特有の不快な思いを
しながらも生きて、むしろ普通の人間よりも死なないように、バイクの乗るのを
やめたり、他出来るだけ不慮の事故で死なないように気をつけて生きていたのでは
ないかな。

しかし、大ケガの後遺症、シャバにいるやつ(数十人)への恨みから、早くおさらば
したい気持ちで一杯です。今度(よた話になるが)生まれてきたら、金持ちのボンボン
で、中の上の知能で3流私立医大へ行き、内科医になって、トラブルで殺されたり
しないよう気をつけて、ベッピンの女とセックスをしまくりたい。まあ今生でも
セックスはしまくったが・・・・・・

死ぬ事は全く恐くありません、まあ、どう解放されてもいいが。
年間3万数千人、自殺するんですよ「ホンマは、宅間、死ぬのんびびっとるで」と
いう人がいるとは思うが、そしたら年間3万数千人の自殺は何なのだ。あんまりワシに
憎まれ口を叩くな。人の一生なんて、偶然的な心臓の連続鼓動でしかない、人間なんか、
いつ死ぬか解らんし、プツーと刺されたり、ちょっと殴られただけでも死ぬときもある。

人生は、人にもよるが、60年、後は感覚も快楽感も鈍り、頭の回転がひたすら悪く
なり、現実的な死は70だ、女は現実的死は閉径だ。湯川なんとやらという歌手の歌で
「人生半分50で始まる・・・」とあるが、バカか、50やったら人生の7分か8分か
過ぎているではないか、100まで生きる人間もいるが、60から感性も体力もよぼよぼ
で、70以後は、ただ惰性で大なり小なりボケて、臭い口臭をハーハーやりながら老害を
まきちらして生きているだけではないか、

追伸
人生は昔も今も50だ。よく覚えとけ。