早見俊の『偉人たちの処性術』

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明治時代、日本は国を挙げて西洋文明、文化を積極的に取り入れました。
欧化主義の象徴が明治政府によって建設された社交場、「鹿鳴館」です。

鹿鳴館を彩ったのは華麗な装束に身を包んだ政府高官の夫人たちでした。中でも鹿鳴の華と呼ばれたのが陸奥宗光夫人亮子(りょうこ)です。
御存じない読者の方は、「陸奥亮子」でパソコン、スマフォ等で検索してみてください。どうですか。あまりの美貌に思わず見入ってしまった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
現代でも映画やドラマのヒロインを演ずれば人気を博しそうです。

夫の陸奥宗光は、「カミソリ陸奥」と呼ばれた程に頭脳明晰で、明治外交を担いました。出身は徳川御三家の紀伊徳川家に仕える名門藩士です。
藩命で江戸に出て高名な儒学者に学びますが、吉原通いが発覚し、破門されたというエピソードの持ち主でもあります。

その後、紀州藩を脱藩し、尊皇攘夷運動に身を投じ、坂本龍馬と知り合いました。龍馬と行動を共にし、亀山社中、海援隊にも参加します。
龍馬は非常にモテたそうですが、陸奥も中々のモテぶり、お坊ちゃん育ちゆえか優男で母性本能をくすぐるタイプであったようです。

それに目をつけたのか、龍馬は長崎の豪商で女傑と評判だった大浦慶から借金をした際、陸奥を抵当に入れました。
後に大浦慶は陸奥に背中を流させたと思わせぶりに語っています。

そんな陸奥が一目惚れした亮子は新橋の芸妓でした。
芸妓の時は小鈴(こすず)が源氏名、小清(こせい)という芸妓と双美人と呼ばれ、新橋の花街にあって人気を二分していました。
ちなみに小清は板垣退助に身請けされ継妻になっています。

西南戦争が勃発すると陸奥は政府転覆を企てた罪に問われ投獄されました。
獄中にあっても亮子を想い、愛情たっぷりの漢詩を送っています。
ところが、牢獄に勤める洗濯女とできてしまい、女児を産ませもしました。

この時に限らず亮子は生涯、陸奥の浮気に悩まされました。
それでも、抜群の接客術と聡明さで陸奥をサポートし、英会話も身に着けて明治社交界の華と称賛され続けたのでした。
カミソリも美人妻は切れなかったようです。

以下ソース
http://www.dansen-web.com/article/detail/7064037/

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