亀山早苗の『ロマンポルノとその時代』

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日活ロマンポルノの中でも「村木と名美」といえば、心疼くファンも多いのではないだろうか。
石井隆さんの劇画が原作の「天使のはらわた」の映画化シリーズである。

ロマンポルノでは5作品が映画となっているが、そのうち、「天使のはらわた 赤い教室」「天使のはらわた 名美」「天使のはらわた 赤い淫画」「天使のはらわた 赤い眩暈」の4作品がブルーレイボックスとなって発売されている。

そもそも映画監督を目指していた石井さんは、早稲田大学の映画研究会に入るために受験、学生時代に日活でアルバイトをしたことがある。

「ただ、当時の撮影スタジオはまだ床が土で、そのすごい埃で持病の喘息が悪化、一日休んでしまい、こんなに体が弱くてはとても10年間の助監督の修行なんてできないと、挫折感一杯で日活撮影所を去ったんです。
それからは学生結婚をしたので、いろいろなアルバイトをしながら、ひょんなことで劇画を描くようになり、カメラをもってロケハンよろしく夜の新宿を徘徊しては写真を撮って絵を描いて。劇画を描くことが映画の代償行為でした」

そして石井さんの名前を一躍有名にしたのが劇画「天使のはらわた」だったのだ。
男と女の言葉にはできない駆け引き、恋心、せつない結末が男たちの心をつかんだ。

「映画シリーズ2本目の『赤い教室』で脚本を頼まれ、ついに5本目の『赤い眩暈』では監督をさせてもらえることになった。
プロデューサーの成田尚哉さんが粘って会社を説得してくれたと聞いて、感謝の気持ちでいっぱいでした。
だけどスタッフにしてみたらおもしろくなかったでしょう。みんな会社を支えるためにロマンポルノを必死で撮っていたのに、原作と脚本、そしてぽっと出の劇画描きが監督としてやってきたんですから。
異業種監督という言葉さえなかった時代でした」

石井さん自身は、ロマンポルノはほとんど観たことがなかったのだという。自身の描く劇画と重なる部分が多かったからだ。
ただ、飲み友だちだった相米慎二監督が現場へ来ては見守ってくれていたのだという。

「相米監督は、あんまり映画映画って僕がうるさいから1本撮って成仏させてやろうと思ったらしい(笑い)。
でもできた映画を観て『ここまでやるとは思わなかった』と言ってくれた。それが今でも力になっています」。

以下ソース
http://www.dansen-web.com/article/detail/0002766/

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