サディズムやマゾヒズムは欧米の専売特許ではない。当然、わが国も例外ではなかろう。
そして、いうまでもなく、マルキ・ド・サドやマゾッホが登場する以前から、そして、永井荷風が『悪魔』や『少年』を、谷崎潤一郎が『痴人の愛』を発表するはるか昔から、そうした趣味嗜好は存在したわけである。

その日本において、古くはさすがに資料が少ないために詳細は不明であるものの、性に関する資料が数多く残されている江戸時代には、サディズムおよびマゾヒズムといった嗜好をうかがわせるものがあり、研究者たちによって指摘されている。
たとえば、性研究家の田中香涯は江戸期の俗謡に「打ちなと蹴りなといいよにさんせ」とか「逢へばいつでも踏んだり蹴たり」といったものをあげて、女性のマゾヒズムを表現したものではないかと指摘している。このように、俗謡などにサディズムやマゾヒズムが見え隠れするケースは、他の研究者によっても報告されている。

だが、実際にはこうした牧歌的なものばかりではない。嘉永5年(1852)5月には、路上で女性の臀部を小刀で切りつける事件が発生。この件は犯人が捕らえられて決着したが、遡る文化3年(1806)に江戸で起きた通り魔的な事件は未解決だ。男女の区別なく、路上を行き来する人を短刀のようなもので突き刺すという犯行だったようだ。かなりの人が被害に遭い、死者も出たとのことである。結局、犯人はわからなかった。
ほかにも同様の、女性の臀部に切りつける事件や、通行中に刺し殺される事件が何度も起きているようだ。天保元年(1840)の冬にも、やはり夜半に女性の臀部が刃物で切りつけられる事件が起きているし、大地震が続いた安政年間にも、震災の後に同じような事件が続発したと伝えられている。さらに、江戸市中の神社仏閣などでは、人ごみにまぎれてまったく同様に女性の臀部を切りつける被害が少なくなかったらしい。

一方、享保年間(1717〜)に京都の西本願寺法主が繰り返した諸行は、まさにSMそのものである。
その法主は、女性を籠に閉じ込めて天井からつるし、そのおびえる様子を見て喜んだり、近隣から遊女たちを集めては、全裸にしたうえで境内にある泉の中に落とし、這い上がってくる彼女たちを再度水中に突き落として、苦しむ有様を眺めて楽しんだという。
こうした乱行は、やがて幕府の耳に入り、その法主は隠居を命じられたとのことだ。

ほかにも、浄瑠璃などには懇意の女性を責め立てるシーンが登場することもあり、SMというものがさほど珍しいものではなかったのではないかと、伺わせる形跡が少なからず見つかる。
また、江戸期のいわゆる枕絵をみると、さまざまなセクシャルプレイが表現されている。SMに限らず、セックスを趣味嗜好として楽しむという感覚は、江戸期にはすでに熟成したと考えられる。

以下ソース
http://www.menscyzo.com/2018/04/post_15874.html

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