【文化】「女人禁制」 相撲は近代スポーツでなく『祭事』 “内の論理”は“外の論理”としばしば背馳し説得は不可能[04/17] [無断転載禁止]©bbspink.com
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001逢いみての… ★2018/04/17(火) 00:03:50.86ID:CAP_USER
しきたりや伝統として行われていることには、いつの間にかそうなっていたものもあれば、宗教的な理由によって続いているものもある。評論家の呉智英氏が、現代社会の論理とは相容れない宗教と相撲について考察する。

 * * *

三月九日号の週刊ポストで角界の「女人禁制」を論じたばかりだが、大相撲春巡業でまたこの問題が起きた。
四月四日舞鶴市の巡業で土俵上であいさつ中の多々見良三市長が突然倒れ、客席にいた看護婦(俗に言う看護師)らが緊急救命処置のため土俵に上がったところ、場内放送で土俵から下りるように指示があった。市長はくも膜下出血だった。しかも、救命処置をした看護婦らが土俵を下りた後、土俵に清めの塩がまかれた。

これについて日本相撲協会は「人命にかかわる状況では不適切な対応」と謝罪する一方、清めの塩については「骨折やけががあった際の通例であり、女性が土俵に上がったことは無関係」と苦しい言いわけをしている。
二日後の四月六日宝塚市の巡業では、中川智子市長があいさつを土俵下でするよう要請され、それに従ったものの「女性差別」だとして「変革する勇気」を訴えた。

前も述べたように、相撲は近代スポーツではなく、宗教に基づく祭事である。宗教内の論理は宗教外の論理としばしば背馳し、しかもこれを説得することは不可能なのである。
我々は誰でも健康を望む。それ故健康増進のための啓発や教育が行なわれる。これによって、不健康な生活をしていた人はそれを改めるだろう。改めることができない人でも、改めた方がいいだろうと説得はされるだろう。

しかし、宗教はそうではない。宗教者のする修行のうちのいくつかは、医学的に見て明らかに健康を損なう。それでも宗教者はその不健康な修行をする。神がそう命じているからだ。健康を損なっても神の命に従うことは、むしろ宗教者の誇りである。
愛知県稲沢市の国府宮神社は、勇壮な「はだか祭」で知られる。数千人の裸形の男たちがもみ合い、何年かに一人は死者が出る。今春も一人が死亡した。「人命にかかわる状況」だが、祭を「不適切」とする謝罪はない。また、女人禁制もあるが、「変革の勇気」を訴える声も出ない。このはだか祭に類する祭は全国各地にある。

イスラムではラマダンに断食が行なわれる。昼間は一切の食事をせず、日没後に食物の食いだめをする。健康上の観点からは絶対にやってはいけないことをするのだ。理由は、神もしくは予言者の命令だからである。宗教は健康のためにあるわけではない。宗教のために、宗教のためにだけある。
イスラム系住民がラマダン中に子供の学校給食を拒否したらどうするか。豚汁はどうするか。豚由来の薬品を病院で緊急使用する事態になったら、どうするか。

同様の問題は、キリスト教でも起きている。キリスト教原理主義の一派では輸血を拒否している。そのため、交通事故に遇った子供が死亡している。

我々は、信教の自由の名のもとに、異文化理解の名のもとに、宗教を甘く見ているようだ。私は宗教は実に魅力的だと思う。危険だからこそ魅力的だと思う。

以下ソース
http://www.news-postseven.com/archives/20180416_667185.html

★関連板★
■えっちな話題なら”ピンクニュース”
http://mercury.bbspink.com/hnews/
■新作AV情報なら”AV情報+”
http://mercury.bbspink.com/avplus/
0017夜更かしなピンクさん2018/04/29(日) 08:32:20.24ID:oKP96NkT
3S政策

Screen(スクリーン=映画テレビ)
Sport(スポーツ=プロスポーツ)
Sex(セックス=性産業)

を用いて、大衆の関心を政治に
向けさせないようにする愚民政策

スポーツ
スポーツはやっている時も観ている時も政治のことなど考えられなくなります。3S政策の目的が「国民の関心を政治に向かせないこと」ならスポーツは国民と政治を遠ざける有効な手段だといえるでしょう
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況