早見俊『偉人たちの処世術・世界編』

クレオパトラの次は楊貴妃について記します。楊貴妃はクレオパトラ、小野小町と共に世界三大美女に数えられていますが、小野小町を挙げているのは日本だけで、小町の代わりにギリシャ神話上の女性へレナやマリー・アントワネットを入れている国もあります。

それはともかく、楊貴妃は傾国の美女としてあまりに有名です。貴妃とは中国皇帝の後宮において皇后に次ぐ地位のことで、姓は楊、名は玉環といいました。楊貴妃は八世紀前半、唐代の蜀に生まれました。生まれ持った美貌により、時の皇帝玄宗の息子の妃に迎えられます。

ところが、あまりの美貌ゆえ、玄宗自身が一目惚れをし、息子から取り上げ、自分の妃としたのです。何しろ、彼女が微笑むと後宮三千人の美女たちも色あせたと伝わっている程です。

玄宗は開元の治と呼ばれる善政を行い、唐の絶頂期をもたらした名君でしたが、楊貴妃と巡り合ってからは政治を顧みなくなりました。楊貴妃の一族を重臣に取り立てて政治を任せたため、家臣や民衆の不満を募らせました。

名君玄宗を耽溺させた楊貴妃の魅力は美貌ばかりではありません。琵琶の名手、音楽、舞踊に長けた才人ぶりに魅了されたのです。そして、更に大きな理由が楊貴妃の体臭と陰毛にあったと伝わっています。

楊貴妃は清潔好きで入浴を怠らず香木で建てた家の中で香料を焚いたりしていたにも関わらず脇が臭ったそうです。楊貴妃の腋臭が玄宗には香しく感じられたのでした。

また、陰毛が足まで伸びていたと評判されています。いくら何でもそれは大袈裟でしょうが、陰毛が濃かったことは確かなのでしょう。当時の中国では美人の条件の一つに陰毛が長いことがあったそうです。

玄宗は楊貴妃を深く愛しましたが子供は授かりませんでした。そこに目をつけたのが安禄山です。安禄山は十六歳年上にもかかわらず楊貴妃の養子になりました。楊貴妃に気に入らようとおむつを着けて赤ん坊の真似までしました。

楊貴妃は大変喜んだそうですから赤ちゃんプレー好きだったのかもしれません。楊貴妃に身も心も奪われた玄宗は楊貴妃が気に入った安禄山に国を奪われたのでした。

以下ソース
http://www.dansen-web.com/article/detail/2144403/

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