ネット上での政治的な議論は、ときに喧嘩腰のものとなる。お互いに自分の主義主張を曲げることはなく、反対意見を聞けば聞くほどその溝は深まっていく。
コメント欄やSNSのスレッドを眺めてみれば、かなり強い物言いが散見されることだろう。どうやら、それは単に議論の性質のせいであるばかりではなく、そうした議論に参加する人たちの性格にも関係しているようだ。
スウェーデン、ヨーテボリ大学の研究者によると、人にどう思われようが気にしないタイプの人の方が、SNSで政治についての意見を投稿することが多いのだそうだ。
ネット上の政治に関する意見交換がしばしば辛辣なものになるのは、そうした性格の人が多いからなのかもしれない。

SNSが最初に普及し始めた2000年代、それによって様々な意見や背景を持つ人たちが政治的議論に参加しやすくなるだろうと考えられていた。
誰でも気軽に自分の意見を発表できるし、同時に多種多様な意見にも触れやすくなるはずだったからだ。

だが政治問題はをセンシティブな問題ので、発言を控えようと思う人はたくさんいるし、そうした人は相手のことを気にするものだ。
そのために、政治に関心があったとしても、他人から反論を受けたり、批判されたくない人は、あえて自分の意見を人目に触れるような場所に投稿したりはしない。

そこで研究チームは、SNSで政治的意見を投稿する人としない人の性格の違いを調査することにした。
これによっていくつか性格的な違いが明らかになったが、特に注目されたのは「拒絶感受性(rejection sensitivity)」だった。
拒絶感受性とは、自分の言動が他人に拒絶されることをどのくらい恐れているのかを表す指標だ。
社会心理学の分野でよく使われるもので、「仲のいい友達に拒否されたらどう思うか?」「パーティで知らない人に近寄るとき、どんな気分か?」といった質問をすることで計測する。

研究では、スウェーデンの学生2000人を対象に、アンケートを使って拒絶感受性とSNSでの政治的議論への参加との相関関係を調べた。
さらに議論に参加する・しない理由をもっと詳しく知るために、60人を対象にインタービューを試みた。

すると年齢、学歴、性別、政治への関心といった要素を考慮したとしても、やはりSNSで政治的議論を交わす頻度と拒絶感受性とには関係があることが判明した。
他人から拒絶されることを強く恐れる人は、ネットで政治に関する自分の意見を投稿するのをとても嫌がるのである。
たとえば拒絶感受性が最も高かった大卒30代の男女は、他の条件は同じだが拒絶感受性が低い人に比べると、政治的意見を共有したり投稿したりする可能性が40パーセント低かった。

インタビューから分かったのは、たくさんの人にとって、政治などのセンシティブな話題はもっと個人的な場の方が話しやすいということだ。
親しい友人や同僚と直接顔を合わせて話をしていれば、相手が不快に思っていそうな気配を感じたとしても、すぐに自分の発言をフォローすることができる。
一方、SNSでは自分の言ったことが誤解されたり、知らず知らずのうちに嫌がられたりしている危険はかなり大きい。

だが中には、相手が自分の発言のせいで不快に思ったとしてもちっとも気にせず、自分の意見を臆面もなく公にできるような人もいる。
その結果として、SNSに投稿される内容はそうした拒絶感受性の低い人たちによるものであることが多くなる。

では、このことにはどのような意味合いがあるだろうか?
それはまだ分からない。今、分かっているのは、活発に意見を投稿する人は社会的な処罰を恐れていないということだけだ。
だからと言って、そうした人が必ずしも事実から目を背ける極端な意見の持ち主だというわけでもない。それどころか問題を現実的なものに留めておいてくれている可能性すらある。

続く

以下ソース
http://karapaia.com/archives/52264857.html

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