ジャーナリスト・安田純平氏が2日に行った記者会見が波紋を広げている。各方面から自己責任論が渦巻くなか、冒頭で「私の解放に向けてご尽力頂いた皆さんにおわび申しますとともに、深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました」と謝罪したものの、その後は予定時刻をはるかにオーバーする“独演会”を展開。2時間40分に及んだ会見から安田氏の“本性”が見えてきた――。

 日本記者クラブで行われたこの日の会見は当初、1時間の予定で、冒頭30分間が安田氏の回顧、後半30分が質疑応答のはずだった。司会進行を務めたのは、テレビでもおなじみテレビ朝日の解説委員で日本記者クラブ会員の川村晃司氏。安田氏は取材ノート片手にシリア入りした2015年6月22日から記憶を辿っていったが、1日1日を細かく振り返っていくため、先に進むのが恐ろしいほど遅い。解放されたのは2018年10月23日だが、予定されていた30分ではわずか1カ月ほどしか経過しなかった。この時点で報道陣の間では「まさかずっとこの調子なのか…」と不穏な空気が流れ始める。

 そんななかでも、聞き逃せなかったのは、安田氏が武装集団に拘束された原因だ。安田氏は当初、2015年にイスラム国(IS)に殺害されたジャーナリスト仲間の後藤健二さんが使っていた通訳から紹介された人物を介してシリア入りするはずだった。安田氏の説明では、その人物とシリアの国境を超え、そこで待たせてある車に乗り込む手筈となっていたが、何をトチ狂ったのか、安田氏はその人物が目を離したスキに、シリアに向かう別の集団の男性から声を掛けられ、付いて行ってしまったという。当時を振り返り安田氏は「なぜ付いていってしまったのか、自分でもわからない」。例えるならば、母親に「そこで待っていなさい」と言われたのに、見知らぬ人に「アメちゃんあるからおいで」と誘われ、付いて行ってしまった子供と同じだ。

 そんな凡ミスをしでかしても、安田氏は会見で取材成果をアピールし続けた。印象的だったのは、武装勢力から“動いてはいけないゲーム”を課された時のことだ。このゲームはわずかでも動いたり、音を立てれば、嫌がらせをされるというもので、安田氏は「これが一番きつかった」と吐露。

 拘束中、安田氏はこのゲームを2度経験したそうだが、2回目の時はイスラム教のコーランに則り「こんなことをすればアラーの教えに背くことになる」と、これまで培ったイスラム教の知識をフル活用して、武装集団と交渉したという。

「会見で安田氏は自身と武装集団との会話も再現し、熱っぽく語っていた。『コーランの第何項にはこんなことが書いてあって…』と我々に説明しながら、まるで『自分は武装集団と一歩も引かずに交渉したんだ!』とアピールしているようだった」とは取材したスポーツ紙記者。

安田氏によると、武装集団からは「動いてはいけないゲームを40日間耐えたら解放してやる」と言われていたそうで、あくまでも“言葉尻”からだが、日本政府が動いたからではなく「自分がこのゲームを耐え切ったから解放されたんだ」という思いがにじみ出ていた。

事実、安田氏は冒頭こそ日本政府に感謝の言葉を並べたが、腹の底では政府に“助けられた”という現在の構図を快く思っていない。帰国後に安田氏は外務省の関係者と面会しているが、その時の様子を振り返り「正直、外務省の私に関する情報は事実ではないことが多かったですね」とチクリ。この言葉が飛び出したのは、110分の独演会ですっかり気分が良くなったあとに行われた質疑応答でのこと。別のスポーツ紙記者は「殊勝な態度は最初の10分間で、残りは彼のトークショーでした」と話す。

 放送禁止用語も飛び出した。武装集団のボス的な人物の特徴について聞かれた安田氏は「そうですね。マツケン…、松平健さんに似ている人でした」と即答。その瞬間、会場のテレビ関係者から「はい、アウト〜」という言葉が飛び出したのは言うまでもない。

続く

以下ソース
https://tocana.jp/2018/11/post_18658_entry.html

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