そんな我々が国語の先生に聞いたのは、「なんでオレたち、日本語話せるのに、国語なんて勉強する必要があるんですか?」ということ。大学を卒業したばかりの若い女の先生だったのですが、みんなで先生を追及したんです。「こんな科目をやってもしょうがないじゃないですか!」と。なかには、数学のM先生とか地理・歴史のT先生のことは僕ら尊敬しているけど、あなたは尊敬できないと言いだす生徒も出てきました。するとこの若い先生は、「あのね、国語っていうのは、あなた達が大事だと思う数学や社会の問題を解くために必要なの。だから私は日本語を教えているの。そう思ってくれない?」と。「なるほど! そうだったんですか!」と途端にその先生の評価が上がりました。
橘:問題文を読めなかったら、どんな問題も解けるわけがないですよね。でも知識人やマスコミの人は、まわりに高い認知能力の人しかいないから、誰でも基礎的な読解力があるにちがいないと思っている。その前提から、そもそも間違っているんじゃないか。
そう考えると、ネット上での議論がかみ合わない理由もよく理解できます。相手の意見を“読まない”のではなく、“読めない”のに批判しているわけですから。私たちが目にしているのは、ネットの大衆化によってこうした人たちが表に出てきたという現実ではないでしょうか。
終わり