人の心の奥底に秘められた願望というものは、時として、奇妙奇天烈な言動を生むものだ。ましてやそれが、禁忌とされる要素を持てば持つほどに、なんとも珍妙なものとなるようだ。
「そうねえ……私なんかも村を出て何十年も経つもんだから、今はどうなってるかわからないけれどもね。さすがにこの時代じゃ、もうああいうことをやっている連中はいないんじゃないかな」
自身が生まれ育ち、結婚を機に関東地方へと引っ越すまでの二十数年間を過ごしたという、中部地方のとある地域で行われていたという“とある奇妙な風習”についてそう語りはじめたのは、長年勤めていた鋳物工場を退職し、現在は都内近郊にある長男宅に身を寄せ、ラジオ番組へのハガキ投稿だけが唯一の楽しみだという、鵜飼一さん(仮名・87)。なんでも鵜飼さんの話によると、その昔、当地で暮らす男親と愛娘との間では、なんとも忌まわしい行為が、平然と行われていたのだという。
「うーん、どう表現したものかと思うけれども、わかりやすく言えば、男親がね、娘と一緒にいつまでも風呂に入って、体を洗ってやるっていう習慣。うん、別にそれ以上のことはしやしないんだけれどもね、体の隅々まで洗ってやるという習慣だわな」
現代社会においてはもちろんのこと、ひと昔前の時代でさえも、女児と父親との混浴というのは、個人差こそあれど、概ね、どこの家庭においても、女児が初潮を迎える頃までには自然と行われなくなるものであった。しかし当地においては、そうした父娘混浴の習慣が、娘の嫁ぐ日まで続き、誰一人、そのことに対して違和感を覚えることなく、当たり前のこととして行っていたのだという。
「そらね、年頃になってくれば、お互いに気恥ずかしくなったりはするのかもしれないけれどもね、周りの人間がみんなそうしてるって聞けば、“ああ、そういうもんか”と納得しちゃうもんなんだよな(苦笑)。うちは娘がいないからあれだけども、私の姉さんや妹なんかは、嫁ぐまで親父と風呂に入っていたもんだよ」
実の父娘という関係であっても、幼少期の着替えを手伝うことさえ性的な意味でタブー視されることもあるケースも珍しくないなかで、少なくともたった数十年ほど前までは、平然と続けられていたという、当地の混浴習慣。ある意味、牧歌的であるとも言えなくもないが、その裏には、男親のあらぬ劣情が垣間見られるだけに、世の良識派からすれば、思わず眉をひそめそうな内容である。
以下ソース
https://tocana.jp/2019/10/post_118117_entry.html
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