【皇室】美智子さまが熱心に通った皇居の「御用蚕所」 徳川家の聖地だった[10/29] [無断転載禁止]©bbspink.com
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0001逢いみての… ★2019/10/29(火) 23:51:09.52ID:CAP_USER
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徳川家康を祀る「紅葉山東照宮」の鳥居は明治6年に不忍池(東京・上野)のほとりに移された(写真提供/竹内正浩氏)

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紅葉山御養蚕所で作業される美智子さま(写真/宮内庁提供)

 江戸時代から現在に至るまで400年以上にわたって日本の歴史の中心だった奇跡の場所・皇居。即位の礼で今一度注目が集まる皇居の「謎」に迫る。

 美智子さまが1つずつ丁寧に白い繭を収穫する──これは「紅葉山御養蚕所」で初夏に行われる恒例行事の光景だ。

 皇居での養蚕は明治天皇の皇后・昭憲皇太后が始められ、歴代の皇后が受け継がれている。当時、日本の輸出品は生糸ぐらいで、「上に立つ者が模範を示す」というお考えからだった。

 美智子さまも養蚕を尊んだ。毎年5月上旬に「御養蚕始の儀」が行われ、同月末頃に収穫されるのが習わしとなっている。

 昭和から平成に移り変わった折、純国産種の蚕「小石丸」の飼育中止が検討されたことがあった。飼育が難しい上に生産性が低いことが理由だったが、日本古来の蚕が姿を消してしまうことを惜しまれた美智子さまが「もう少し育てたい」と希望され、生産は継続された。後に、美智子さまが収穫された小石丸の糸は、正倉院に収蔵される古代絹織物の復元に使用された。

 皇居の中心部にあり、ひときわ森深い紅葉山は、明治維新まで「徳川家の聖地」だったことはほとんど知られていない。歴史探訪家で『最後の秘境 皇居の歩き方』著者の竹内正浩さんが解説する。

「江戸時代は紅葉山の上に、徳川家康を祀る御宮があり、中腹から山麓にかけて、歴代将軍を祀る霊廟が並んでいました」

 明治になると、新政府は徳川家に対し、紅葉山の霊廟などを他所に移すように命令した。江戸城から皇居へ。そうして、江戸城内最高の聖地は、「養蚕の聖地」へと変わったのである。

以下ソース
https://www.news-postseven.com/archives/20191029_1474028.html

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0002夜更かしなピンクさん2019/10/29(火) 23:53:52.86ID:0FZsw+iO
徳川金塊が
ある
0003夜更かしなピンクさん2019/10/30(水) 01:25:57.04ID:7I7UNvCr
雅子ちゃんが病気でひきこもってて
カイコは気持ち悪いってわがまま言って
養蚕の勉強全くしなくて
仕方ないからキコさまがそのやりかたを
皇后から伝承されたんだよね
雅子ちゃんはキコさんにありがとうって言わないとね
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