0001逢いみての… ★
2020/03/10(火) 00:52:49.86ID:CAP_USER歴史作家・早見俊氏が、歴史上の人物たちの性に関するエピソードを紹介してくこのコラム。歴史に興味がある人はもちろん、そうじゃない人も楽しめること間違いナシですよ。
19世紀フランスで活躍した女流作家ジョルジョ・サンドは女性解放思想家、男女同権を主張するフェミニストでした。その思想を実践するように彼女は性にも開放的であったのです。
サンドは1804年に軍人の父の家庭に産まれました。父は早死にしたため、祖母に引き取られ裕福に育ちます。パリに遊学後、ある男爵と結婚し一男一女に恵まれました。しかし、平凡な家庭生活に飽き、二十七歳で別居、以降奔放な性生活を謳歌します。美貌と巧みな話術でパリの社交界に出入りしました。次々と男と深い仲になり、ひんしゅくを買いましたが悪評など何処吹く風という図太さでした。
性遍歴は彼女の奔放さを益々引き出し、作家活動にプラス効果をもたらしました。執筆活動もセックス活動も活発化、高名な詩人ミュッセと恋に落ちます。しかし、恋焦がれる気持ちは長くは続かず、ミュッセの主治医と男女の仲になってしまいました。その間、別居中の夫とは離婚係争中だったのですが、離婚に漕ぎつけられたのは愛人の一人だった弁護士のお陰です。
奔放な性生活の末、ピアノの詩人、フレデリック・ショパンと運命的な出会をします。百戦錬磨のサンドにとって六歳年下のナイーブな青年ショパンは恋愛に関してはヒヨコです。たちまち、ショパンはサンドにメロメロとなりました。サンドには言い寄る男が大勢います。サンドをショパンに独占されることを嫌った男にショパンは決闘を申し込まれたそうです。
ピアノの詩人には耐えられないことで、サンドはショパンと恋の逃避行に出ます。辿り着いたのはスペインのバルセロナ沖に浮かぶ地中海の島、マジョルカ島でした。風光明媚、温暖な気候のマジョルカ島は二人にとってはまさしくこの世の楽園でした。が、この世の楽園はショパンの肺結核によって療養の地となってしまいました。
サンドはショパンの恋人から看護師になっていきます。やがて、サンドは自分たちをモデルにした小説を出版しました。小説の内容にショパンは激怒、サンドの娘も二人の間に割り込み、関係は悪化して分かれました。別れて一年後ショパンは死去、サンドはフェニミストからも大いに批難されました。
以下ソース
https://dansen-web.com/?p=19779
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