早見俊『東西すごい人 セックス伝』

歴史作家・早見俊氏が、歴史上の人物たちの性に関するエピソードを紹介していくこのコラム。歴史に興味がある人はもちろん、そうじゃない人も楽しめること間違いナシですよ。

清朝は六代乾隆帝(けんりゅうてい)の頃に全盛期を迎えます。乾隆帝は六十年皇帝として君臨し、清の領土を最大に広げました。十回の外征全てを成功させ、「十全老人」と自称します。

そんな偉大な皇帝をもてなす為に、満漢全席という中国料理ができました。百品もの御馳走を三日間食べ続けるのです。その食材として重宝されたのが日本から輸出された干し鮑、フカヒレ、煎り海鼠などの俵物でした。宮廷は贅沢華美でしたが、祖父康熙帝(こうきてい)、父雍正帝(ようせいてい)の頃は質素であったのです。

浪費の典型である後宮は清朝の前、明朝時代の一日分で年間の費用を賄ったといわれている程です。それが乾隆帝の頃に守られるはずはありません。多くの美女を皇帝は侍らせました。その中でも伝説の美女がいます。乾隆帝最後の外征、遊牧国家ジュンガルを滅ぼした時に連れ帰った女性です。

彼女はウイグル族の族長の夫人であったのですがジュンガル滅亡の際に夫を亡くしました。北京で彼女を見た乾隆帝は息を呑みます。美貌に加えて何とも言えぬ甘い香が立ち上っていたからです。一説によると砂ナツメの香だったそうです。乾隆帝は一目、いや、一嗅ぎ惚れをし、香妃と名づけ、夫を亡くした悲しみから死を願ったにもかかわらず、後宮に入れました。

父や祖父の頃の質素さは何処へやら。乾隆帝は香妃のためにウイグル式の宮殿を建て、アーチ型の屋根をつけたトルコ風呂を設けました。更には香妃の美貌と美匂を保つため、羊の乳で入浴させました。それでも、香妃は皇帝になびきませんでした。皇帝は香妃の気をひこうと、皇帝と皇后、皇太后しか持っていない鍵まで与えましたが、香妃は心を許しません。

乾隆帝は気もそぞろとなり政務も疎かになります。傾国の美女となった香妃を危ぶみ皇太后が彼女を呼び出します。香妃は夫と一族の仇である乾隆帝を殺そうと短刀を隠し持っていました。皇太后は香妃に自殺を勧めます。香妃は皇太后から貰った毒を仰ぎます。知らせを受けて乾隆帝は飛んで来ましたが、香妃は甘い香を残したまま命絶えていました。乾隆帝は彼女の絵を眺め続けたそうです。おそらく、砂ナツメを嗅ぎながら自慰に耽ったのではないでしょうか。

以下ソース
https://dansen-web.com/?p=20550

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